以前、同じ通販で稼業をしている友人と会ったときに「どうして花屋をしているの?」と聞かれたことがありました。

どうして、といわれると、実にはいろいろと生臭い事情もあるわけですが、少し考えて、素直に出てきた一言が「人のお役に立ちたいから」でした。

すると友人が、豆鉄砲を食らったように驚くのです。

「人のお役に立ちたい??」「そう」「人のお役に立ちたいって、どういうこと??」「え…だから、人のお役に立てれば幸いです。ってこと」「お役に立ちたい?」「そう」「そんなこと思ったことない」「えええええ」

そんなやりとりをしたことを、今でも可笑しく思い出します。笑

当時の彼女に言わせると、自分が今の仕事をしてるのは、自らに叶えたい夢があり、それを叶えるために環境やスタッフやお客様がいる。もちろんその夢は、お客様の幸せを叶えることでもあり、つまり自分が幸せになることで、みんなの夢と幸せが叶う。

というような話だったと記憶しています。(違ったらごめんなさい)

この話を聴いたとき、とっさに思ったのは「私にその発想は”ない”」ということでした。いま思えば、発想がないというよりは、優先する順序が違うだけ、と言うのが相応しいかもしれませんが。在りかたの違いかな、とか。

では「在りかた」ってなんだろう。

私の場合、求められたことに対して、最適なパスを渡すにはどんな準備が必要か。相手がきれいなシュートを決めるために何が出来るか。どのタイミングで、どの距離で、どのくらいの強弱で、どの優先度で、スピードでアシストすれば、その人の求める「解」が導かれるのか。その人「らしい」着地が出来るのか。

今も当時もそんな思考回路でした。なので先の友人の「自分の夢を叶えるために」という主張は、とても驚きましたし新鮮でした。とはいえ「私たちが叶えたいことを、叶えてくださるお客様」という点においては同じですから、これもまた興味深い話です。

どちらがいいとか悪いとか、そういった話ではありません。自分にはない感性や行動力がある人に出会うと、いっときはビックリするのですが、一周まわって、今の自分たちの「在りかた」も、これはこれでいいと思える気づきは、多々ありますね。

ただ「人のお役に立ちたい」と一口に言っても、花屋の場合、お客様から求められることが、あまりにも千差万別で、ときに複雑を極めます(当店だけかもしれませんが)。

なのでそんな難儀にも、一生懸命に向き合い努めてくれるスタッフの誠実さ優しさには、一緒に働くことへの誇らしさを、感じずにはいられません。

そうしながらも、この手を使って心を動かせながら、遠い記憶をたどりながら、人に向き合える花屋とは本当に尊い仕事だな。そんなことを思うきょう日。ありがたいお仕事だなと、心から思います。

今日もいちりんあなたにどうぞ。

ヒペリカム 花言葉「悲しみは長く続かない」

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~花以想の記~