::ヒーローはここにいる
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『僕が空を飛んでいくから
きっと 君を助けにいくから』
涙が出た。
拭っても拭っても、とめどなく溢れてきて。
翌日、瞼を腫らして寝室から出てきた僕を見て、君は笑った。穏やかな朝だった。
「夢でもみたの?」
「……うん」
昨夜夢で会った彼は、顔が半分も残っていなかった。
でも嬉しそうだった。嬉しそうに、優しく、自分のカケラを僕の手の平に乗せた。
お食べ、と言われて口に含んだそれは、味がしなくて。
それなのに、陽だまりのようにあたたかく、綿毛のようにふんわりと柔らかく。
ゆりかごに包まれるように、ずっと彼に守られていたような気さえ、した。
「私もね、好きだったよ」
食卓に食器を並べながら、君が言う。
「ちっちゃい頃大好きでさ、しばらくして子供っぽいなあと思って全然見なくなったけど。大人になってもう一度見たら、」
ああやっぱり深いなあ、って。
キッチンから、バターロールの焼けるにおいがした。
オーブンが鳴り、パタパタと駆けていく君のスリッパ。赤と茶のチェック柄。
彼の、色。
純粋に、悪者が成敗されるのを楽しんでいた子供時代はもう終わり。彼になりたいと夢みた日々は、いつの間にか遠く過ぎ去っていた。
大きく膨らんだ気泡がはじけるみたいに、パチンと、僕らは唐突に現実を知るわけじゃない。
幼い頃から見聞きしてきたものを繋ぎ合わせて、積み上げて。
賢くなった。その分、狡くなった。
あらゆるものが綺麗事で偽善であると、目を瞑ってイヤホンをつけて。
生きていく中で、見えない方がいいこともある、聞こえない方がいいこともあると、わかるようになったから。
『僕が空を飛んでいくから。きっと君を助けにいくから』
知ったふりをして、格好つけるのではない。痛みをただ堪えるのではない。
守りたいものをひたすらに守り抜く、勇気と愛。
この世界の中で、唯一彼が抱いていたもの。
いつしか僕らが、なくしてしまったもの。
「また、会おう」
君が焼いたバターロール。ちぎればふわりと湯気が出る。
また会おう。
僕らの忘れものを、彼はきっとまだ持っていてくれる。
飛べなくなったら、今度は僕らが走っていくよ。
また会おう。
ヒーローは、今も心(ここ)にいる。
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自己犠牲こそが正義
やなせたかしさんの、ご冥福をお祈りして。