昨日、ファーストタトゥーを入れてきた際に

背中にデッカいタトゥー

入れたいんだって話とかして


この綺麗な背中も

あと数ヶ月で見納めかぁー。

なんて、思ったわけで

自撮りしたんですよ。

コソコソっと。





この写真にタイトルを付けるなら

「何見てんのよ」

が、イカしてるかなとか思って

ツイッターに投稿しようとしたんですけど。


でもさ

こうSNSに載せて

見せる為に撮ったみたいなとこあるから

矛盾だよな、とかね。



そしてね、思ったわけです

そもそも、綺麗な背中ってなんなの。

って。


あー始まってしまった🤷🏻‍♀️

もう本当に多い。最近。そろそろめんどいな。

ま、やるんだけど。




てわけで、今回のお題は

「綺麗な背中 とは」



タトゥーを入れてない状態が綺麗か?


入れて更に美しくなる感覚があるけどな。


私にとって''綺麗''の定義自体が

視覚的要素だけを取ったもので


同じような''美しい''という言葉は

内側から出てくるモノがこもってる感覚だから

綺麗と美しいは全然ちがくて。



だから、今はまだ美しい背中ではないけど

綺麗だと褒められる事を受け止めてる状態。



でも、私の背中には

それなりに色んなもん背負ってきたから

傷跡も残ってる、吹き出物も出来ててまだ痛い


それを、表面上は隠しているから

''綺麗''だって褒められてるわけで。


その上から貼り付けるように絵を描いても

それは美しいと言えるのかな。



昨日、指に針を刺す前に

綺麗な手の見納めしなかったのは


皮膚の下に隠れていた物を

人に手伝ってもらいながら

彫り出していく感覚があって

それは、既に美しい手だったからで。


美しい手にしてくれてありがとう。

とは思ってなくて

私の事理解して手伝ってくれてありがとう。

の方が、しっくりくる。


それが背中に感じないって

背中の皮膚の下にはまだ何も無くて。

きっと今、タトゥー入れても

彫ってくれてありがとう。

程度のものになってしまうと思う。



そんな軽いものにしないために


''背負わされたモノのせいで付いた傷''すら

許して愛してあげられたなら


選んで背負ったモノを

しっかり自分の中に落とし込めたなら


美しい背中になる時が来るかな。



いや、来る。

絶対、絶対来る!




その為に、現時点での

綺麗な背中を見納めよう。


傷を隠して、未熟な綺麗さだけの

そんな背中に要は無いから。



私の背中は、傷跡だらけでも

針を刺したら絵が浮き出てくる

そういう美しいものであるべきだ。



よし。




やっぱり

何上面だけで私を測り見てんのよ

って意味で




何見てんのよ