昨日はバレーの試合で夕食は作れずショック

株主優待で済ますウシシ



私の父は・・・
一言で言うと、温厚でまじめな人照れ

頼まれてもいないのに、おせっかいを焼く爆笑
裏切られても信じる事をやめない人。

母いわく。
この人が天国に行かずに誰が行く?!
と言うほどのお人好しチュー


若い頃は、良く勉強ができて賢かったと、近所の人は口を揃えて言っていた。うーん

しかし、農家だった為、田んぼを手伝ったりが忙しく、大学進学は希望しなかったらしい。

私が小学生の頃、勉強を見てもらっていたが、よくゲンコツを食らっていたグー

そのゲンコツが痛くて、叩かずに教えて欲しいと恐怖を抱いていたアセアセ

今、この文章を打ちながら思い出したくらい、ゲンコツの事は忘れていた。
普段は温厚な父なのに何故?と不思議なくらい、勉強にはゲンコツだったえー?

勉強しろ!とうるさく言われた記憶はない爆笑

逆に勉強しろ!と言って欲しかったなぁ〜と今さら思うくらいにおーっ!
もっと勉強していれば違う人生があったはずなのに!

父はスポーツが好きだった。
よくキャッチボールをした。
その影響か、私は運動神経には自信のある女の子に育った。テニス

プロ野球もよく見に行った。野球
当時、父の勤めていた会社は、球団を持っていたから、好きな時に見に行けた!
電車に乗るのもタダだった電車

父が37歳の頃、脳血栓で倒れた。
親戚が集まる中、母は泣き、みんなで話し合っているのを見て、
父は死んでしまうのだろうか?と覚悟した記憶があるアセアセ
私が小学六年生、弟が小学二年生だった。

当時の入院は、完全看護ではなかったので、母は泊まり込みで看護。
弟と2人で不安な夜を過ごした記憶がある。
寒い冬だった。ぐすん

当時、小屋で飼っていたセキセイインコのつがいが死んでしまっていた。
父の事に気を取られて、お世話が疎かになってしまったのか・・寒かったのか・・ショボーン
両手のひらに2匹をのせて号泣したタラー
申し訳ない事をしたと。

お父さんの身代りになってくれたのかな?
と、母は言ったショボーン

父は右半身に麻痺が残ったが、仕事に復帰する事ができた。
そして、無事に定年まで勤め上げたおねがい

現在75歳。
今までにも、何度か軽い脳梗塞や心筋梗塞を繰り返し、不自由な身体になってしまった。

しかし、脳は健在おねがい
未だに学ぶことが大好きで、漢検は2級まで取得したり。
高校入試問題が新聞に載れば、解いているし。

私にもその問題を解くように強要したり笑い泣き

とにかく、勉強は大好きおねがい

何よりも私が好きなところは・・・

父の慈悲深いところ。クローバー
毎年、赤十字に3万円募金したり。
何か、あるたびに募金している。

自分には何にも出来ないからと。かたつむり

偽善者。自己満足。
の世界かもしれないけど、その気持ちがあるだけで。
誰かを思う気持ちがあるだけでいい!
と、私は思っている。

からだは不自由で、母には迷惑かけてばかりだけど。ヒヨコ

自分の事だけで精一杯なはずなんだけど、まわりの世話を焼く爆笑

それが出来ているうちは、父は幸せなんだと思うおねがい