貢献の二文字がカッコいいと感じるわたしが、
「役に立たない」を考える記事です。
貢献し、貢献されるという関係に憧れのようなものを感じた数年前とちがって、
今は役に立たないを目指してる気がする。
(って書くと自堕落なんだけど)
人って誰もが「やくにたちたい」願望をもってると思うね。
そうしたら嬉しいし、
褒められたらやったねと思う。
だけど度をすぎてはいけない。
もし小説家なら、なにか美しいものを描きたいがために、
舞台装置に死を用意するのもありだと思う。
そこはね、心を鬼にしてキャラクターを殺すんだよ。
でもそういうことを現実でしようと思うと「あちゃー」ってなる。
「わたしすごくやさしいから、
それを発揮するために不憫そうな人が必要ね」って、
不幸な人さがしするようになったら。
最初のきれいなものがゆがんでしまう。
戦場カメラマンだって
「テロも戦争もばっちこい」とは思ってない。
むしろ失業したいと誰かが言っていた。
能力めっちゃ高くて得意でも、
あえてそれをしないほうがカッコいい。そんなこともあるよね。
有能なのに刀をおいた軍師・・・って、
ちょっとロマンがある気がする。
どうぶつは「役にたとう」と思ってなくても、
ただ一生懸命生きてるだけでなんだか愛しくて、
師匠だなぁと思う(笑)
過剰さはとっぱらって、
自分のほしいもののためには、
瞬間火力を出す。
そういうやり方を模索している。