ひと月ほど実家に滞在し、父を見送りました。

抗がん剤治療は続けていたものの、直前まで普通に暮らして、退院も叶い、自宅で家族で看取ることができました。

いつも大きな声で賑やかで減らず口で、

退院してからも言いたいことを言い、

食べたいものを少しだけ食べて、

孫全員に会った後、旅立つなんてさー。

ほんとに言いたい放題言ってさー。

弟にだけ託していた遺影は、見たことのない

父の若かりし頃の写真で、弟も父から「お父さんのモテモテ時代の写真(ニヤリ)」としか聞いておらず、さすがお父さん、いいのか、この写真で。いいよね多分。いやいいに違いない。なんか和むよね。うんこれでいこう。この時代にあって、「おいが葬式は盛大にやってくれ!」との言葉を残し、母も私たちも怒涛の日々を派手に盛大にお父さんが喜ぶのはどれかを合言葉に乗りきり、ふさわしいかはわかりませんがよか葬式じゃったと思います。


若い父に、お父さんほんとにかっこいいね、

とビービー泣き、そのポーズ和むーと笑い、

なんでこの写真だったのか家族は誰もわからなかったのだけど、手を合わせに来られる方が落ち着いた頃、その時代を共に歩んだ父の友人から手紙が届き、なぜこの写真を選んだのかがわかり、みんなで泣きました。ああ、もうほんとにもう!

「じゃっでおいがすいこちゃ、何でん意味があるち言うたどが。」ニカッと笑う父の顔が浮かんで、

大きな声で笑ってすぐ好かんことを言って、でもどこか憎めなくて、反発してたのにお父さんのことが大好きだと思えるように育ててくれてありがとう。


小学生の姪っ子が、わんわん泣いてたのに、

遺影を見てじーじイケメンじゃんとか、

じーじはちゃんと死んでるの?とか、

あの時はまだ死にたてだったからって言ったら変だけどって、うん変だよ。

そんな中にあって、ごはんを作ったり洗濯をして、

人の死も日常の中にあるということが、

わかったような気だけはしています。

疲弊してたくさん泣いても、

クスッと笑えることがどんなに大切なのかも。


そして、

子どもたちが成長し、大きくなるということは、

私の中の母の役目を薄くして娘に戻してくれました。







田舎で健康的なものばかり食べていた反動で、こちらに帰ってから対極に振れています。

煎餅とビールが最高です。


大きく振れたら、また大きく戻ろうとする。

必死のパッチの日々を過ごしたら、

何にもしたくなくなる。


何か父母のためにできることを探し続ける時間も

無為に過ごす時間も

自分の中にある安定志向から生まれ、

できているのだと思うのです。


心に生まれたゆとりや、

ほぼ手が離れてきた子育てや、

いろんな要素がうまいことミックスされて、

父母と過ごす時間というギフトを受け取り、

ただ母の側にいて、

また自分の家族のもとに戻って、

ただ子どもたちの側にいる。


安定志向はつまらないのではなくて、

安定しているから動けるのだと、

安という言葉にやすらぎを感じています。


安心安全安寧平安

安眠安穏安定安堵


あっという間に思いつく

これらの言葉を手に入れたり、見失ったりしながら、

華々しさはなくても、地道に安心材料を手に入れようとする生き方が自分には合っているのだと、

実家にいる間にスクリーンタイムが70%減ったと

教えてくれる携帯電話を見ながら思いました。


降り注ぐように増えた時間をどう使うか。

七日守り(参り)を6回した母が、

「お姉ちゃんとお味噌を作ろうや。」と言うので、

7回目の七日守り(四十九日)は

父の笑い話をしながら母とお味噌を作ります。