この連休に京都へ家族旅行。

降って湧いた京都行きは、

義母に手を合わせる旅でもありました。

清水寺の迫力は変わらず。


曇ってはいたけど、

台風の影響を受けずに、

四半世紀ぶりの京都を楽しみました。


夫と私は京都の同じキャンパスを歩き、
だから京都は懐かしい場所でもあります。
住んでる時は、したことなかった
清水寺の随求道胎内めぐりがとても新鮮で、

(息子たちも一番良かったと言っていました。)

大きな数珠玉のような手すりだけを頼りに、

一寸先は闇が体感できる、本当に真っ暗な

曲がったりくねったりする階段を降りて、

ほのかに光る石に手を当てて、

お願い事をひとつだけするのです。


そして光を頼りに階段を登る。

生まれ変わった気持ちになれるそうです。


次男が

「みんな家族の健康とかを祈ったと思うけど、

俺は、

今日から俺の全ての運気が上がりますように✨

と願った!!」

とジーニー🧞‍♂️に言ったら怒られそうな

願い事をしておりました。



夜の京都タワーはとっても綺麗で、

京都駅が近代化しすぎていて腰を抜かす。


変わってないのは市バスのグリーンの色だけで、

わーすごい、わーすごいを繰り返し、


大好きな仙太郎おはぎの本店に行けて幸せ。

栗の皮むきアルバイトに釘づけ。


そら豆の皮むきも、

梅のヘタ取りも無限にできるけど、

栗の皮むきだけはあきません。

傷だらけになるわ。


東京でも買えるけど、本店のはさらに美味しい気がするご存知最中。



清水寺しょって
三十三間堂しょって
長男の手撮り棒で、肩寄せ合って、
家族4人で笑顔の写真をたくさん撮りました。



悲しくなくても、

悲しくない私を責めることもせず、

それでも自分の過去はどうでもいい、なんて

思っていないことを知りました。


私は長いことそれを自分のお稽古が

足りていないからだと思っていたけど、

そうではないと今は思います。


十年一昔にもなってない過去は

まだ近すぎて新しくて、

きっとそう思えないだけ。 

時薬が効いてないだけ。


なのに、どうでもいいなんて嘯くなんて

自分を大切にしてないと思うから、

無理はしないでいいと思ったりなんかします。




どうでもいいとはまだ思えないけど、

自分の主観まみれの過去はどうあってもいい。

と思えるようになりました。

手垢まみれにした過去はいらない。


だから、

いろんなことがあっても、

事実だけを淡々と話せる言葉がほしいと思います。



ここは行こうね!と言っていた

キャンパス近くの3軒のお店のうち、

一軒は跡形もなくなっていて、

一軒は営業中と調べてたのに、

5年前からテイクアウトのみになっていました。


最後の一軒のトンカツ屋さんはあって、

おじさんとおばさんは

真っ白な頭になっていて、

お値段据え置きで、

味はそのままでとても美味しかった!


帰り際におばちゃんに

「子どもたちに食べさせたくて、

 四半世紀ぶりに来ました。」

と言ったら、

とても喜んでくださって、

私たちの顔なんて覚えてるはずないなのに、

お願いだから座って珈琲飲んでって!

と言ってくださり、

「京都の小川珈琲のアイスコーヒー」

を出してくださり、

いやーうれしいわぁうれしいわぁ

と何回もおっしゃって、

料金もおまけしてくださり、

「それで、並んで待ってくれてはったん。

お父さんお母さんに優しくしてあげてな。

優しい顔してるから大丈夫と思うけど。

ほんまおおきにありがとうございます。」

って子どもたちに。

泣きそうだ。


カウンターにも空いてる座席にも

段ボールが積み重なって、

ごちゃごちゃだってそのままで、

それを見ながら私は、

やっぱり事実だけを話せる言葉と、

片付いてなくたって、

「うれしいわぁ。座って珈琲飲んでってな。」

って笑顔で言えるトンカツが上手な

白髪のおばちゃんになりたいです。



今回の京都行きは、

アノヒト研究室から始まりました。


アノヒトは夫でも義母でもなかったのに、

夫と義母が繋がることになって、

偶然なんてとても思えない運びで、

コトがするすると流れ、

(心の中は大変でしたが)

予定がぴたりぴたりとはまっていき、

家族で楽しく過ごし、

悲しみよりも、周りにいてくださる方に

ミチコサンに、

ありがとうございますを何回言っても足りない

幸せな気持ちに満たされたことを考えると、

変えたかったアノヒトは、

私だったのだと思います。


今回の実験で、

腹を括って、行動したら、

思いもよらない事実を知って、 

夫と次男は泣いたけど、

それを受け止めて、

家族みんなで前進しました。

 


ミチコサンは、

こうしなさいなんて言わないのに、

結果、自分の人生を自分でデザインしている

実感があるのが最大のギフトです。



お誕生日にといただいたお花が、


京都から帰っても綺麗なままで、




活け直してなおキッチンで楽しませてくれます。

ありがとう。



live the life⛰✨