療養期間の身であると、
部屋(寝室)にいることが仕事
のようなところがあって、
最初はホイホイ楽しんでおりました。
本も漫画も、読み放題。
食事も部屋食。時折の換気。
でも、じっとしているという修行は、
飽きるとセット。
そこに楽しみや今できることや
閃きを見いだそうとしても、
制限があるからすぐに、
「ちぇっ、つまんないの。」
私は俗な人間なので、
すぐ感謝を忘れます。
私のやりたいことがただの家事であり、
手を出せないとなると、
もはやそれは贅沢品のような輝きを
持つのでした。
桜が咲きながら雪が降った寒さの庭を
パトロールします。
太陽の方ばかり見て、
頭がフェンスを越えていたから
気づかなかったけど、あなたは咲いていたのね。
5℃以下になると冬越しできないという
オステオスペルマムは、
立ち枯れていました。
ところどころに芽が出てきていて、
合ってるかわからないけど、
枯れてる枝だけ散髪しました。
健気で引っこ抜くなんてできない。
ローダンセマムにも蕾がついていて、
見たら元気が出てきました。
元気なので草取りも。
ほとんどがカラスノエンドウ。
花壇や庭が藪化しても、
草取りすればいいだけ。
なんてシンプル。
母は草取りが好きな人でした。
その情熱をなぜ家の中に向けられないのか
不思議なくらいでした。
舐めたごっ綺麗にしちょいやっ畦や田んぼや畑を
持つ家の主人を尊敬しているところがありました。
今も暇があれば、
庭や畑に出て10時には、
よかお茶を淹れているはず。
「よか茶を淹れんか。」
いつも命令形な父の影で
誇らず驕らずの母が、
「草取りをするとね、
あー今日もよくがんばったって思うのよ。」
と胸を張って言っていたことを思い出します。
当時は、へーとしか思えなかったけど、
病気の時も、
元気な時も、
やりたいことが家事だったなんて、
見た目も中身もどんどん似てきています。
家事が好きで大切に思っている今。
ラベンダーにも蕾。
病める時も
健やかなる時も
望むコトが同じで、
一緒にいたいヒトも同じ。
それは当たり前ではない。
それをよく知っています。
お金に翻弄された春でしたが、
お金では買えないモノがある。
大切にしたいコト、ヒト、モノが
どんな動きをしようとも、
見て、見極められるようにありたいです。
happy new life








