同居をやめてからずっと
私は私の幸せハードルの低さを
少し憐れんでいたけれど。
家でひとりの時間があるだけで
幸せ
空が綺麗で
幸せ
ワイシャツにアイロンをかけられて
幸せ
こんなことが幸せだなんて
どんだけ我慢して
どんだけ他人に譲歩し
何やってたんだ私
と自分に呆れてたけれど。
今日などは、
朝から晴れてお洗濯日和というだけで気持ちが弾み、
5回も洗濯機を回し、
カーテンを洗って
スッキリとごきげん麗しく。
台風の名残り、
打ちつけられた葉っぱがくっついて
そのまま乾いた
くすんだ窓も拭いてピカピカに。
それだけで元気がムクムクと湧いてくる。
ああ、幸せと声に出す。
義母の気配を常に察知して
家でひとりの時間はなかったよね。
空の美しさに気づくことなく
いかによく生きるか
に縛られてたよね。
アイロンだって掃除だって
口を出されれば
黙ってそれに従っていたよね。
まるで操られてるような違和感
それがないというだけで
例えられない解放感と幸せ。
でもそれは幸せのハードルが低い
ということではなくて
もしかしたらそれは
とんでもなく高いハードルで
私は今それを
毎日軽々と飛び越えているのだと思う。
午前も
午後も
寝る前も
ああ幸せと言える
幸せのハードルを
毎日
毎時間
ラクラクと飛び越えているのだと思う。
小さな世界の小さな話。
よかったことも
悪かったことも
抱きしめて、手放して、
今ここにある時間が
優しさで満たされますように。

