義母との同居というものは、

思い出したくないことであるのに、

反芻し、外に向かって叫びたくなってしまう。

同じ日本人なのに
日本語が通じない感覚。
それが私の知る同居というもの。

記憶も薄れ、その時感じた激情に
似合う言葉も、もう見つからないのに。

美しい言葉なんて似合わないのに、
探そうとしてしまう。
噴き出すような怒りや
哀しみを感じたくなくて、
心を麻痺させたはずなのに。

その噴き出す突破口をいつも
探していた。

そもそもの間違い。
「よりよく生きる」に縛られて、
愚痴を吐こうにも、
理性が邪魔してもがいていた。

きれいごとを追いかけていたら、
またたくまに年数だけ過ぎ去ってしまった
とんだ茶番の、
帳尻合わせをして、
自分を納得させるだけ。

誰からも頼まれていないけれど、
綺麗な言葉を見つけ出し、
激情にかられた過去を表現するワークを
面白がろうと思う。

とんだ茶番を
とんだ綺麗事にしようとする
とんだ間違いを

絵空事にして
昇華しようと思う。


よかったことも
悪かったことも
抱きしめて、手放して、
今ここにある時間が
優しさで満たされますように。