たとえば私が年老いたら
どんな言葉を使い
どんな考えをし
どんな暮らしをしているのか。
広口で姿形が美しく大事に使っていました。
この鉄瓶で入れるお白湯は甘露の味わい。
珈琲も美味しく感じていたから。
蛇の目の鉄瓶。
でも最近、重く感じて
料理をする側に置いているから
気をつけていても
油ハネも多少あり。
義母に
「こんな重いもの私よう使わんわ。」
「何を思ってこんなん買うたん?」
よくそのように言われました。
用の美を感じられない可哀想な人。
軽くて安くて合理的な使い捨てしか
良いと思えないなんて、
とても私とはわかりあえない。
ずっとそう思ってきたけど、
40半ばにさしかかり、
鉄瓶を重く感じている私がいます。
「その年齢にならないとわからないことがある」
とは本当のこと。
当時60を過ぎていた義母が
口にした言葉は「ただ思ったことを言っただけ」
だったのでしょう。
過去を
悲しんだり
悔しがったり
憤ったりする時期は私は過ぎました。
同居の恨み節だけではない何かを
自分の人生に残したい。
その積み重ねで
言葉を
想いを
大切にして
「ただ思ったことを言う」その前に
一呼吸おいて微笑むことのできる人に。
そして、それ以上に
ズバリと言うその一言が機知に富む
孤高のおばあさんに憧れています。

