職業婦人という言葉が好きです。
その時代に明確な意思をもって、
しなやかに強く生きた証を感じ、
憧れます。
同じくらいの熱量で
家で家族の帰りを待つ人にも憧れていました。
私が断捨離したいちばん大きなものは
義理の母との同居です。
焦がれて焦がれたお母さんでいられる
時間のほとんどを家にいないで過ごしました。
家にいることを切望しながら、
家にいたくなくて、
家があるけど家がない、
そんな時間を長く過ごしました。
どうにもならなくなり、ある日突然
狂ったように家のものを捨て始め
這いつくばって家中を磨きました。
(お風呂のものはすべて吊るします。)
呆気にとられるほどのモノに埋もれていました。
16年も無自覚…いいえ、気づいていたけど
心が疲れ果て、家では死んだ人間だったのです。
片付けたいけど片付けられない人は、
行動を起こせないほどの重しを抱えています。
英断、果断、裁断、
同居をもうやめるんだ、と決めた私は
さしづめ決断婦人です。
決断婦人は
自分で自分のことを決めます。
人生の舵取りを自分でするのです。
他人にお伺いをたてず、
報告もせず、
やりたいことをやりたい時にできる。
なんと気持ちいいことか。
決断婦人は
その日の気分で献立を決めます。
決断婦人は、食べたいものを食べたい時に
気がねなく作れるのです。
それが何と思われるかもしれませんが、
知らず知らずに決定権を相手に渡してしまう、
これが私のやってきた同居です。
決断婦人、と小さく声にすると
スッカスカに枯れた心に
勇気の水が溢れ出します。
リビングに誰の気配も感じず
ゆったりと座り、
ベランダから差し込む陽射しが
美しいというだけで
涙が流れます。

