霰松原神社 | みー散歩~神社仏閣御朱印めぐり~

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大阪府を中心に神社仏閣巡りをしています。
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スマホが無かった一日。。
外を歩いていても時間が分からない時計ハッ
仕事中に電卓が無くて計算が大変ハッ
音楽が聴けないガーン
そして・・・
気になった時に写真が撮れないカメラハッ
 
一昔前なら、職場には必ず電卓置いて有ったし
腕時計つけてたし
ウォークマン持ち歩いていたし
どこかに出かけたりする時はカメラも持っていた・・・。
 
便利な機能が付いてスマホ一台で身軽に行動できる様になって有難いけれど
その反面、依存し過ぎて
無くなったら
メッチャ困るやん!!
実感した
こんばんわ味醂です真顔キラキラ{もう無くさないぞ!!
 
1月5日(火)曇りくもり
住之江警察署前から住之江の寺社探しスタート!!
まずはテクテクと南海高野線の住ノ江駅まで歩いてあしあと
近くの賽の神さんにお参りお願いキラキラ
その後、更に住吉方面に進んで行きますと
次の目的地に到着しました神社キラキラ
こちらは
霰松原神社(あられまつばらじんじゃ)

公園の一角に有る小社だと思って来たのですが
まさかのびっくりDASH!
公園全体が神社って言って良いんじゃないかな??
とっても大きな御神木が夫婦の様に立っていて素敵でしたお願いキラキラ
 
下矢印社標下矢印
 
鳥居の前には大きな
下矢印歌碑下矢印
~霰打つあられ松原住吉の弟日娘と見れど飽かぬかも~
長皇子が詠まれた御歌ですルンルン
 
下矢印案内版下矢印
~由緒~
霰松原の名は『万葉集』(巻1)天武天皇の第4皇子である長皇子の”霰打つあられ松原住吉の弟日娘と見れど飽かぬかも”の歌などで良く知られています。
この地は、奈良・平安時代は海に沿った堺まで続く松原で、白い砂と松の緑は四季を通じで素晴らしい景観をみせ多くの人々が訪れ、大阪と河内南部や紀州方面を結ぶ街道としても重要で「岸辺の道」、室町後期からは「紀州街道」と呼ばれていました。
天水分豊浦命神社は延喜式の古社で創建年は不明ですが『住吉大社神代記』にも記録されていることにより1200年以上を経ており、明治40年に止止呂支比売命神社に合祀されています。
安立町の由来は江戸時代初期の良医であった半井安立がこの地に住み多くの人々を助けた徳によりその名を遺して町名になったと伝えます。
by、上記案内版より
 
さて、公園内の片隅には真っ白な
下矢印鳥居神社下矢印
 
鳥居の横に古そうな社標が残っていました虫めがねキラキラ
天水分豊浦命神社お願いキラキラ
 
境内には
下矢印忠魂の碑&慰霊塔下矢印
お願いお願い
神社にはお社が3社有って左から
下矢印稲荷社下矢印
御祭神は
瀧川大神
朝日大神
榎大神
下矢印稲荷社(中央)下矢印
御祭神は
霰松原荒神
 
そして・・
一番左が
下矢印金高大明神下矢印
何やら社の中に石の様なものが見えていましたので
気になって覗いてみると・・・
あっ♡
トトロ!!
じゃないや・・・
狸さんでしたラブラブラブ
商売繁盛の神様なんだってウインクルンルン
めちゃくちゃ可愛かったですグッキラキラ
 
☆フォロワーさんからの有難い情報☆
~しまやんさんから~お願いキラキラ
金高さんは先の大戦で大阪空襲で心斎橋が焼け野原になった時、近所の今は亡きお爺はんが顔だけ地面から出ているのを見つけて、大八車に乗せて安立まで運びお祀りしました😁
お顔だけ出してたんですねびっくりハッ
「おーいアセアセここからほり出してくれくれ~いアセアセ
って言っていたのかな爆  笑ハッ
見つけて貰ってお祀りして貰って良かったねトトロさんグッキラキラ
 
 
下矢印石碑下矢印
 
公園のど真ん中に大きな
下矢印御神木下矢印
宿木がキラキラ
こんなに素敵な御神木があるなんて
そして・・
あんなに可愛らしい狸さんが祀られていたなんて
本当に来て良かった~ニコニコルンルン
 
やっぱり街歩きは楽しいなっルンルンルンルン
大阪市内をもっと歩きたいなと思ったそんな味醂でしたバイバイ
 
 
霰松原神社
住所 大阪府大阪市住之江区安立2丁目2
アクセス

 
 
住之江からテクテクと歩いていたら色々発見したので
次回は街角の地蔵尊とか色々をまとめてUPしま~すOKルンルン
次回・味醂、そしてここにたどり着くの巻。