玉津島神社 | みー散歩~神社仏閣御朱印めぐり~

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大阪府を中心に神社仏閣巡りをしています。
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ブロ友T&S・・ときどき味醂の

和歌山ニンニン神社仏閣めぐり編

その7!!

 
昨日の記事で書いた、鹽竈神社のご朱印が頂ける神社は
コチラ
玉津島神社(たまつしまじんじゃ)
って・・
鹽竈神社のほんとに隣なんですけどね口笛口笛口笛キラキラ
元はと言えば鹽竈神社は玉津島神社の祓所ですからお願いキラキラ
 
鏡山の横をテクテクと歩けばあしあと
沢山の歌碑!!
 
下矢印社標下矢印
歌碑と見間違えるの巻(笑)
 
この沢山の歌碑を見て
Sさん大ハッスル!!爆  笑ラブラブ
その理由は・・・
小野小町とか、、松尾芭蕉とか!!
有名どころの歌人たちがこぞって来たといふ
和歌の神様を祀る神社だからでござ~るハッ
だから
和歌の浦っていふのかしらん??
いとをかしハートラブラブ
 
下矢印正面鳥居神社下矢印
朱色の綺麗な両部鳥居神社ラブラブ
 
下矢印狛犬さんパグ下矢印
豪快な笑い方の男らしい感じがする狛犬さんキラキラ
 
下矢印拝殿下矢印
御祭神は
稚日女尊
息長足姫尊
衣通姫尊
明光浦霊
息長足姫尊は神功皇后なのは御存じの方も多いですよね照れラブラブ
明光浦霊は、和歌浦が荒れない様に守ってほしいと聖武天皇により合祀された神様お願いラブラブ
そして・・稚日女尊は、あの有名なスサノオの逸話に登場する神様ひらめき電球
機織りをしている時に上からスサノオが放り投げた皮を剥がされた馬に驚いて
女陰を梭で突いてしまって死んじゃった神様です滝汗滝汗アセアセ
・・・・・おや??
どの方が和歌の神様??
衣通姫尊は允恭天皇の后で美女で和歌の上手だったんだってルンルン
正解は衣通姫尊でした100点キラキラ
 
下矢印本殿下矢印
拝殿前の本殿の煌びやかな写真を見て・・実物をどうしても見たい!!
と・・・
カメラをズームして何とか撮ってみるの巻カメラアセアセ
 
下矢印和歌浦状下矢印
同じアメブロでとっても分かりやすく、しかも楽しく
この和歌浦状の事を書いている記事を発見びっくりひらめき電球
なのでペタリさせて頂きましたお願いキラキラ
麻巳子さんと言う方のブログですグッキラキラ
 
~境内の様子~
 
わ~おっ!!
なんじゃこりゃ!!!
下矢印根上り松下矢印
天然記念物なんだってラブラブ
大正10年に和歌山市高松から移されたんだって目キラキラ
カンドーしてパシャリしている味醂をぱしゃりするSさんカメラハッ
 
そして・・
またもやSさんのカンドー爆  笑ルンルン
下矢印小野小町袖掛けの塀下矢印
Sさん:『ここに小野小町がっ・・どういう感じなんだろうね?袖をシュってのせたのか
それとも・・・』
と色々妄想されておられましたニヒヒルンルン
マニアック~ラブラブラブラブ
 
そう言えば・・・
由緒書くの忘れたっハッ
 
~由緒~

息長足姫が紀伊半島に進軍した際、玉津島神の加護を受けたことから、

その分霊を祀ったのに始まるという。

玉津島は古くは「玉出島」とも称されたが、大阪市西成区玉出には生根神社が鎮座しており、

関係があるのか興味深い。

聖武天皇は、和歌の浦に行幸してその景観に感動、この地の風致を守るため守戸を置き

玉津嶋と明光浦の霊を祀ることを命じた詔を発する。

天正13年、豊臣秀吉も早々に玉津嶋に詣でている。

この後、紀州に入部した浅野幸長により社殿の再興が図られ、

徳川頼宣により本殿などの本格的な整備がなされた。

by、ウィキペディア

 

鳥居の外には・・・(駐車スペースあり)

下矢印金高稲荷社下矢印

今回の和歌山は旅行気分でデジカメ持って行ったんだけれど・・
やっぱり良いねグッキラキラ
 
下矢印社務所下矢印
コチラで御朱印が頂けますお願いキラキラ
↓↓

 

玉津島神社

住所 和歌山県和歌山市和歌浦中3-4-26

アクセス