今日録画してあったドリトル先生を見て
最近あまり考えてなかったことが心の中で頭をもたげてきたので
ずっと書いてなかった日記復活!
私は自然が好きだし命をいとおしく思う。
動物も花も空も大地も虫…はちょっと苦手だけど、みんなみんな生きていることをいとおしく思う。
でも、私は何もしていない。
守ることも壊すこともできる手をもっているのに、何もしていないんだ。
以前も書いたけれど(覚えている方いるかしらw)絶滅危惧種やら外来生物やら私たちの身近なところで私たちの環境は少しずつ変わっている。
それを憂いたりもした。
でも、そのころから少しずつ、自然や命に対する見方が変わった気もする。
命を大切に思う。でも目に見えるところだけ助けようとするのははたして正しいのか?
たとえば私は花を大切に思うから彼らを助けたいと思う。
でも一方で私はゴキブリを平然と殺すんだ(実際には私はこわくて倒せないけどw)
その矛盾は一体どうするべきなの?
目の前の命を救うこと、目の前の平和を守ること。
そのことに対して疑問を抱いているわけではなく、道徳の教科書通りのことを書くなら、漫画のセリフみたいなことを書くなら、「自分の手で守れる分だけでも守りたい」と思い行動することは素晴らしく思う。
一つだろうが多くだろうが命は命だ。
少しづつ状況を変えていく人々を本当に尊敬する。
でもわたしが疑問に思っているのはそこではなく、問題は私が今まで何もしていないということだ。
自然を守ること。
それは小さなことからでもできるかもしれない。
今からだってできるかもしれない。
でも今まで私は何もしてこなかった。
そんなちっぽけな道徳心で、弱肉強食の世界で生きる彼らを殺したり助けたりできない。
助けてあげたい。助けられるなら。
でも一方でこの世界は昔から何も変わってない。
変わったのは、多くの人間が自分の身を守るために、自然について考えるようになったくらいだ。
人間が弱かったころも世界をはびこっている今も、弱肉強食。
強い生物は生き、それに敗北したものが絶滅していく。
今は人間が道具を使って強いだけ。いつ天災や細菌たちに殺されるかもわからない。
なのに、命を奪いたくないと大声で言って、平気で生き物を殺す人間は偽善じゃないのか?
私は何もしていない。
この世の中は弱肉強食だから、生き物を殺すことを疑問に思う必要もない。
自分が活動に身を置き、自分の生活スタイルを変えているほどであったら、いくらでも誇りを持っていいと思うけれど、私は何もしていないし、自分の生活スタイルだって変えられない。
だから私は肉や魚を食べるし、虫だって殺す。
私たちはひとりでは生きられない。
そしてそれは人間同士だけの話ではなく、生きていくのには何かを奪って何かの命を奪わなければならない。
ベジタリアンはどうして植物や虫を殺すの?
自然に生き自然に死ぬのをよしとするならなぜ命を奪っているの?
そしてたとえ私たちの目から見たらわからなくても、植物もいつも虫に狙われて、時には助けられて生きているし、全ての生き物が循環して奪い助けあっているのではないのかな。
それなのに人間は生き物に同情する人をよしとして、生き物に誠実に向かい合って殺す人をよしとしないのかな。
私たちはみな、生命の循環の一部であり全部なんだ。
だから生も死もごく自然に隣に存在するものだ。
世界はすべてつながっている。
そしてすべての人が奪い与えあっている。
私がずっと心に決めていること。
友達を、恋人を、家族を愛するように全ての生き物を愛そう。
<虫だけは無理な自分が嫌なんだけど…でも動物の本能にあるように、自分のテリトリーに入らなければ虫たちを殺したり傷つけたりしたいわけじゃない。
私は私の世界を守るために、侵入者は排除(できたら殺さないのがいいけど…)するよ。ごめんね。>
人間は醜い部分がたくさんあって、同種族ですら仲間とも思わず、大切にできなくて。
人種がちがうならまだわかる。でも日本人同士ですら傷つけあう。
それほどまでに複雑で、豊かな感情、個性をもっている生き物。
毎日嘆いて毎日愛そう。
嫌な部分をたくさん見つめて、それでも愛せたのなら本物だと思うから。
まやかしの人間愛はいらない。
汚くていやしくて、自然に生きているものの方がよほど純粋だと思うほど嫌な部分がたくさんあるけど、生きているからこそなんだ、そんな欲望や自分勝手さが生まれるのは。
生きていてくれることを、本当に喜ぶよ。
そしてそのために赦す心をもっともっと強く持つよ。
誰も喜んでくれなくても、私だけはあなたが今生きていることをうれしく思うよ。
だから、みんな生きていて。みんな願わくば笑っていて。
全ての生き物が幸せになる世界はきっとないけど、少なくとも人間は動物よりも強い心と賢さをもっているから、きっと幸せになれるはずなんだ。
毎日はなれなくても少しずつでも、その人の考え方次第で。
だから私は誰かを傷つけるのではなく誰かを幸せにしたい。
もしかしたら今すれ違った人は私の親友の友達かもしれない。
もしかしたら今目の前にいるおじいさんは私のお母さんの友達のお父さんかもしれない。
もしかしたら今メールを打つサラリーマンはネットで知り合った友人の家族かもしれない。
全部全部繋がってる、かもしれない。
つながってないかもしれないけどつながってない証拠はない。
だったら私は幸せな想像をするよ。
私たちはみんなつながっていて、みんな生命の循環の一部にいて、そして誰かにとってその人は全てで。
だから家族を愛するように隣人を愛そう。
恋人を愛するように植物を愛そう。
友達を愛するように生き物たちを愛そう。
このまま何もしなくていいと思ってはいない。
でも何かをしなくちゃいけないわけじゃない。とも思う。
滅びるのならそれも運命。世界を変えられるのならそれも運命。
確かなのは自分が無意味な加害者になっていはいけないということ。
地球に対しても生き物に対しても。
加害者にならないように、これからは気をつけて、誠実に命と向き合って生きていこう。
私は全ての隣人を愛そう。愛せるように努力していこう。
まだまだ道のりは遠いけれど、きっと無理じゃない。
最近あまり考えてなかったことが心の中で頭をもたげてきたので
ずっと書いてなかった日記復活!
私は自然が好きだし命をいとおしく思う。
動物も花も空も大地も虫…はちょっと苦手だけど、みんなみんな生きていることをいとおしく思う。
でも、私は何もしていない。
守ることも壊すこともできる手をもっているのに、何もしていないんだ。
以前も書いたけれど(覚えている方いるかしらw)絶滅危惧種やら外来生物やら私たちの身近なところで私たちの環境は少しずつ変わっている。
それを憂いたりもした。
でも、そのころから少しずつ、自然や命に対する見方が変わった気もする。
命を大切に思う。でも目に見えるところだけ助けようとするのははたして正しいのか?
たとえば私は花を大切に思うから彼らを助けたいと思う。
でも一方で私はゴキブリを平然と殺すんだ(実際には私はこわくて倒せないけどw)
その矛盾は一体どうするべきなの?
目の前の命を救うこと、目の前の平和を守ること。
そのことに対して疑問を抱いているわけではなく、道徳の教科書通りのことを書くなら、漫画のセリフみたいなことを書くなら、「自分の手で守れる分だけでも守りたい」と思い行動することは素晴らしく思う。
一つだろうが多くだろうが命は命だ。
少しづつ状況を変えていく人々を本当に尊敬する。
でもわたしが疑問に思っているのはそこではなく、問題は私が今まで何もしていないということだ。
自然を守ること。
それは小さなことからでもできるかもしれない。
今からだってできるかもしれない。
でも今まで私は何もしてこなかった。
そんなちっぽけな道徳心で、弱肉強食の世界で生きる彼らを殺したり助けたりできない。
助けてあげたい。助けられるなら。
でも一方でこの世界は昔から何も変わってない。
変わったのは、多くの人間が自分の身を守るために、自然について考えるようになったくらいだ。
人間が弱かったころも世界をはびこっている今も、弱肉強食。
強い生物は生き、それに敗北したものが絶滅していく。
今は人間が道具を使って強いだけ。いつ天災や細菌たちに殺されるかもわからない。
なのに、命を奪いたくないと大声で言って、平気で生き物を殺す人間は偽善じゃないのか?
私は何もしていない。
この世の中は弱肉強食だから、生き物を殺すことを疑問に思う必要もない。
自分が活動に身を置き、自分の生活スタイルを変えているほどであったら、いくらでも誇りを持っていいと思うけれど、私は何もしていないし、自分の生活スタイルだって変えられない。
だから私は肉や魚を食べるし、虫だって殺す。
私たちはひとりでは生きられない。
そしてそれは人間同士だけの話ではなく、生きていくのには何かを奪って何かの命を奪わなければならない。
ベジタリアンはどうして植物や虫を殺すの?
自然に生き自然に死ぬのをよしとするならなぜ命を奪っているの?
そしてたとえ私たちの目から見たらわからなくても、植物もいつも虫に狙われて、時には助けられて生きているし、全ての生き物が循環して奪い助けあっているのではないのかな。
それなのに人間は生き物に同情する人をよしとして、生き物に誠実に向かい合って殺す人をよしとしないのかな。
私たちはみな、生命の循環の一部であり全部なんだ。
だから生も死もごく自然に隣に存在するものだ。
世界はすべてつながっている。
そしてすべての人が奪い与えあっている。
私がずっと心に決めていること。
友達を、恋人を、家族を愛するように全ての生き物を愛そう。
<虫だけは無理な自分が嫌なんだけど…でも動物の本能にあるように、自分のテリトリーに入らなければ虫たちを殺したり傷つけたりしたいわけじゃない。
私は私の世界を守るために、侵入者は排除(できたら殺さないのがいいけど…)するよ。ごめんね。>
人間は醜い部分がたくさんあって、同種族ですら仲間とも思わず、大切にできなくて。
人種がちがうならまだわかる。でも日本人同士ですら傷つけあう。
それほどまでに複雑で、豊かな感情、個性をもっている生き物。
毎日嘆いて毎日愛そう。
嫌な部分をたくさん見つめて、それでも愛せたのなら本物だと思うから。
まやかしの人間愛はいらない。
汚くていやしくて、自然に生きているものの方がよほど純粋だと思うほど嫌な部分がたくさんあるけど、生きているからこそなんだ、そんな欲望や自分勝手さが生まれるのは。
生きていてくれることを、本当に喜ぶよ。
そしてそのために赦す心をもっともっと強く持つよ。
誰も喜んでくれなくても、私だけはあなたが今生きていることをうれしく思うよ。
だから、みんな生きていて。みんな願わくば笑っていて。
全ての生き物が幸せになる世界はきっとないけど、少なくとも人間は動物よりも強い心と賢さをもっているから、きっと幸せになれるはずなんだ。
毎日はなれなくても少しずつでも、その人の考え方次第で。
だから私は誰かを傷つけるのではなく誰かを幸せにしたい。
もしかしたら今すれ違った人は私の親友の友達かもしれない。
もしかしたら今目の前にいるおじいさんは私のお母さんの友達のお父さんかもしれない。
もしかしたら今メールを打つサラリーマンはネットで知り合った友人の家族かもしれない。
全部全部繋がってる、かもしれない。
つながってないかもしれないけどつながってない証拠はない。
だったら私は幸せな想像をするよ。
私たちはみんなつながっていて、みんな生命の循環の一部にいて、そして誰かにとってその人は全てで。
だから家族を愛するように隣人を愛そう。
恋人を愛するように植物を愛そう。
友達を愛するように生き物たちを愛そう。
このまま何もしなくていいと思ってはいない。
でも何かをしなくちゃいけないわけじゃない。とも思う。
滅びるのならそれも運命。世界を変えられるのならそれも運命。
確かなのは自分が無意味な加害者になっていはいけないということ。
地球に対しても生き物に対しても。
加害者にならないように、これからは気をつけて、誠実に命と向き合って生きていこう。
私は全ての隣人を愛そう。愛せるように努力していこう。
まだまだ道のりは遠いけれど、きっと無理じゃない。