カレーの話に戻りましょう。

私自身は、あまりカレーを食べたことがなかったのです。子供の頃、家で食べた記憶がありません。子供の頃に食べ慣れてない料理というものは、大人になってからも好んで食べないという話しを聞いたことがあるのですが、本当にそのとおりだと思います。実際、わたしはそれほどカレーが好きではありません。わたしにとってのカレーは、コミュニケーションツールです。

 わたしは、1度決めたらとことんやらなきゃ気が済まない性格なので、学校を潔く辞めたその翌日から、これも独学でカレーの研究を始めました。そうして約半年かけて、自分の、そして日本人の舌に合うカレーを作るのに成功し、母国の両親や親戚から借金したのち、この場所に店を出したのが、5年ぐらい前です。わたしの信仰上、日本人に馴染みのあるカレーの具や調味料を使用できないのですが、味には自信があります。どうです?おいしいでしょう。ルーシーも初めて来たときから店のファンになってくれて、いまでは店のスタッフです。本当に助かっています。

この街に店を開くのを決めたのは、大した理由はありませんでした。わたしが最初に住んだ町より大きく、東京ほど人が密集してないところであれば、どこでも良かったのです。しかし、店を始めた当初、売り上げがなかなか伸びないのもあって、この街に店を持ったのを後悔したこともありました。東京や大阪といったもっと大きな街に行けば良かったとも思いました。そうして、4年前、この街の印象をガラリと変えた出来事がありました。誤解を恐れずに言えば、わたしは、この街の海にtsunamiが来て、よっぽどこの街が好きになりました。いいえ、この街に暮らす人達が、です。

本当に、4年前のあの災害のときは、日本人の素晴らしさに改めて気付かされました。この辺りも結構揺れて、ライフラインのガス電気水道の全てが復旧するまで1ヶ月近くかかりましたが、そんなことより、わたしが気になっていたのは沿岸部の被害状況でした。そしてそこに暮らす人達の孤独な戦い、精神的肉体的苦痛が如何ほどのものか、わたしは現地へ赴き、身をもって知りたいと強く願いました。そうして、あるだけの材料と水と鍋を車に積み込み海岸沿いの町へと向かいました。

 その町の辛うじて残った家々は、家が家としての機能役割を失い自然の一部のような体をなし、ただ、砂埃舞う風の中に置かれていました。そして、家を無くした土地にあるのは、コンクリの基礎だけで、大昔の遺構のような有様でした。これが、ついこの前まで当たり前のように生活の中心にあったものとは思えませんでした。神は、とわたしは思いました。神の不存在、不作為を思いました。しかしながら、わたしの、わたしが信仰する神は、何かを思い、又、何かを問うているに違いないと思いました。そうして、その対立項の狭間で、わたしは、わからなくなりました。いてもたってもいられませんでした。だからわたしは、このときばかりは神の教えを忘れ、頭で考えることを放棄し、とにかく体を動かすこと、つまりわたしにとっては、カレーを作ることに専念しようと思いました。そして、この行為には何の意味も無いのだと自分に言い聞かせました。神の教えとは無関係に、又、ボランティアでもなく、ただカレーを食べてもらいたいという思いのままに行動するのだと。わたしは水と材料しか持って来ておりませんでしたので、火を熾すための燃料を探しました。すぐにソレは見つかりました。被災した家屋を形作っていた木材は、ガレキとして到るところに堆く積まれていました。わたしはそこから薪代わりに使えるものを選び、それを燃した火でカレーを煮詰めました。

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