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昨日 1年生の娘と2人で車に乗っていた。
ワタシもちょっと考え事をしてたので ずっと黙っていた。
みぃも黙っていたので 数分車内は無言だった。 別に 珍しいことでもないけど 笑
「ママはどうして黙ってたの?」 と聞かれたので
「ああちょっと考え事してた なんかママにお話あった?」
「みぃはさ 大人になったらなにになろうかなって色々考えてたの」
「そか、なにが浮かんだ?」
「その発表は お誕生日にしま~~~す」
何になりたいか 黙ってしまうほど
たくさん考えてた
なんて素晴らしいんだ 笑
ワタシが黙り込んでた理由も そりゃ ワタシ的にはとっても重要な内容だった はずだった 笑
だけど 6歳の子供が 未来を夢想してたんだなーーって思ったら
ワタシの沈黙が かるーーーいモノみたく思えた 笑
年々思うけど 子供がなんにでもなれる っていうミラクルより
自分が何になりたいとか どうなりたいとか どこに向かいたいか わかっている人間が強いと思う。
強いってのは 力ではなく 魅力が。
誰だって 魅力はある。 その強弱って これまたある。
強いから良い 弱いから悪い っていうんじゃない。 ただ あるんだ。 強弱が。
どっちに身を置くにしても 自分で望んでおいているんだよなって 最近わかりかけてきた。
無自覚でいるっていうのも 選択してるんだし 自覚して努力するってのも選択してるんだよな。
つまり どんなことも意識してやらないと 何も手には入らないんだろうな。
実は この考え方 ずっと前に年上の友達にヒントを貰っていた。
その時は ワタシも若かったので ほお っと聞き流していたんだけれど 最近 とってもよく思い出す。
年重ねると 手に入ってないものとか 人より劣っている理由を説明したり 言い訳したり
説得するのが上手になる。 それは処世術として 自己愛としていいと思う。
けど 自覚してそこに佇むべきだって 彼女は言い訳ばかりしてる人たちに怒っていた。
一回り以上違った彼女の怒りは ワタシにはぴんとこなかった。
若い時は まだ誰も言い訳なんてしてないから。 みんな自分の可能性に向かって 突っ走ったたし。
段々 彼女の怒りがわかりかけてきたってことは ワタシも中年時代なんだな 笑
40代は 大きく分かれる。 自分を押し切るか 自分を押し殺すか。
どちらに進むにしても なしくずしに進むのではなく 自分で選択したんだと胸を張って暮らせば良いんだ。
そうすれば 誰のせいにもしないで暮らせる。 ようやく そこらへんに気がつきだした 笑
さて おいらは 押し切るぞ 笑