今日決まった~ 奥穂高
地震後…
お山は行きたいと思うんだけど、な~んかいまいち気が乗らず…
会の山行も、実は1度お休みしたぁ…
雪山シーズンが終わってしまう~… と焦る気持ちもあったりしたけど。
そしたら、ゴールデンウィークが雪山集中で、年末まではもう無いとの事。
私が宮城へ行ってる間に、GW集中計画が進められ、メンバーに私も入ってて…
今日、会長さんから電話きて「行けるか?」って…
うほぉぉぉぉ~
で、決めました~(*゚ー゚)ゞ ちょいと行ってきますデス。
奥穂高です。 1日に出発で、5日下山するそう。
3パーティに分かれて、別々のコースを行き、4日に涸沢で合流だそう。
大丈夫かなぁ… 全然なんも練習してないよぉ…。
途中電話かわって、隊長が出た!!(緊張ーーーっ!)
「マルコ、余計な食いもんは一切いらんから、必要な物だけ持ってこい。ピッケル2本な。」
(ええぇぇ1本しかないです。あぁぁ でも、大丈夫でしょうか、わたし…)
「じゃぁ貸すからいい。ザイルで引き上げるから心配すんな。お前は共装も無いから。」
だって。 うわぁぁぁ… 緊張するぅ~
そんなに山籠りしたこと無いよ~ 歩き続けた事も無いよ~
ドキドキ…
私は3人のパーティで、一番きついコースだって… マジですか…(汗)
大先輩と一緒だから安心だけども…
で、夕方にもう一人の先輩からメールが着た。
「マルコ、余計な物は削いで、お前の肉も削いで軽装・身軽で来い」って
あの… 身軽… 肉を削げって… 削げるなら、とっくに削いでるよぉ(-з-)pu---
という事で。「奥」に行く事が決定!
頑張る~♪
mayu


河北での日々
私はプロフにも書いてありますが、岩手生まれです。
両親が岩手の出身で、親戚一同みんな岩手です。
2歳の時から東京で育ったため、岩手の方言が分からないのは、私と妹の2人だけです。
今回の震災で親戚が宮古と仙台(若林区)で被災しました。
でも奇跡的にも命は助かった。
手伝いに行くと言っても「何にも無くなってしまったから片付けるもなにも、なんも無いからいいよ」って。
毎年、親戚から送られる、おいしいお米や野菜を食べて、それで育った自分としては
東北に対して何もしないというのも、なんだかモヤモヤして…
現地の救援募集やら、都庁のサイトなど色々調べ、あるところに即、登録しました。
なかなか連絡が来なくて3週間も待ちました。
15日から6日間…宮城入りしました。当初は5日間の予定だったのですが…
初日はまず東京本部に集合してからの移動で、現地へ行く前に心得としての説明がありました。
「ゲラゲラと大声で笑わない」「写真を撮る時は許可を得る」「むやみに状況を聞き出さない」「町全体がお葬式のような状態」という事を理解して… などなど。
着いたのが18時。もう暗かった。
宮城県・登米市の鱒淵小学校の体育館に、ここの会の本部が設置。
全国から寄せられた支援物資が山盛りに、それぞれの種類やサイズに分けられてました。
ここから依頼を受けた各被災者さんの要求に応じてデリバリーしてました。
参加する自分の行動も選べるものでした。
例えば、今のデリバリーとか、高齢者の温泉送迎とか、炊き出しスタッフとか、瓦礫除去など…
特に瓦礫は人が不足してると書かれており、何人でもいいといった状況でした。
その担当リーダーさんに「女性が行っては足手まといですか?」と尋ねたところ、
「女性でもやってほしい事は沢山あります。是非」と言われたので、私はこの瓦礫除去に
行こうと即決めました。
場所は「唐桑」「河北」「亘理」の3か所。
県外ボランティアを受け付けてる場所はこの3か所だけとの事でした。
気仙沼も今まであったらしいのですが、現在は市からストップがかかったそうです。
でも状況は日々変わります。
私は「唐桑」を希望したのですが、「河北」にと、変更になりました。
海に近い河北… 余震はめちゃあるし、放射能の事や、破傷風が流行ってきたとか、衛生状態がすこぶる悪いと説明されました。
でも、辞退する気は起きなかった。
決定したら 「長靴にこの鉄板の中敷きを入れて下さい。釘を踏む可能性がかなりあるので」…と渡されました。
登米から河北に向かったメンバーは4名。滞在期間も偶然同じ。この4人が最終的に最高の結束を持つ事になるとは。。。
翌朝、早速河北へ。そして、そこのBCに入りました。公民館とお寺を借りて拠点とし、活動してました。
先発隊も何人もいた。登米のBCより雰囲気はアットホームで、女性もいました。
ここはお世話したお宅から、毎日、差し入れが届いてました。
お風呂も何件かの方が提供してくださり、迎えにまで来てくださる方もいました。
とにかく防塵マスクをしてないとほこりや臭いがすごい…
作業初日… 一軒家の床板の解体と、その下に溜っているヘドロの掻き出し。
土のう袋にヘドロを何十袋も詰めた。昼休憩は外でおにぎり食べた。
気付くと、斜めになった庭木が花を沢山咲かせてた。 津波にのまれてもこんなに咲いてる…
ずっと見てたら、ここのお婆ちゃんが「花すきかね?」と話しかけて下さいました。
(とっても綺麗なので…何という花ですか?)と尋ねたら 「これは辛夷コブシだ」と後ろからご主人が。
「辛夷が咲く頃にいつもなら田植えが始まるんだども、この畑じゃなんもでぎねぇのさ。ヘドロでな… 枝っこ持ってくか?」
と言って下さったのですが、お気持ちだけでと。一枚写真いいですか?と聞いたら、快諾してくれました。

道路の向こうに見えるのは一面ヘドロを被った畑です…
ここのお宅が終わって、すぐ隣へ。 終われば次へと移動して、夕方に作業は終了。
私達は皆、会の腕章を付け、名前もハッキリと付けることが義務付けされてます。
詐欺ボランティアも多発しており、ご家庭に直接訪問して、ただで作業すると言いながら、重機代はもらうと後から金を要求したりとか。
物資を勝手に置いて、見えない所に請求書を張り付け、後日集金に来たりとか…悪質極まりない人がいるのです。
市の方からも、安易に素性のわからないボランティアに頼まないようにと指示されてるとか。
なので、私達が作業してると、近所の方がその様子を見て「うちにも来てくれないか」と突然依頼を受ける事もめずらしくありませんでした。
ボランティアも様々だったな…一生懸命やるのもいれば、やっつけ仕事する者もいれば、汚い仕事になると消極的になる者とかね…
登米から来た私達4名は、考え方も作業の仕方もまったくといっていいほど同じ意識を持ったもの同士でした。
いつもこの4人で仕事意外の時間、食事や休憩も一緒だった。
リーダーもそんな私達を見込んでくださり、ヘドロの掻き出しは特に頼まれました。
連携作業も完璧。リーダーが「元々の知り合いなの?」と聞くくらいw
私達についた呼び名は 泥掻き名人とか、ヘドロバスターズだってww
だから、床板をはがすにも、場所とか私達が最低作業しやすいように聞いてくれた。
3日目だったかな?高齢のご夫婦がずっとビニールハウスに寝泊まりしてて、早く家に入りたいという希望。
ヘドロまみれの家財道具を全て運び出し、処分のものは車で廃棄場所まで運ぶ。床板をはがし、ヘドロを掻き出す。終わったらとても喜んでくれました。配給の水を分けてくれようとした。大切な水なのに。
「お気持ちだけで… 」と。
この日の2件目で、やはりヘドロの掻き出しなんだけど、床板も柱も数か所切らないとヘドロが出せないところで、
おじいちゃんが、チェーンソウで「こんなことになってな… まさかだもんな…」と言いながら
辛そうな顔でウィンウィン…って切ってた。 その音が辛くて泣けてきて、直視できなかった。
ほとんどが高齢のお家でした。もうフラフラになってらした…
ご家族を亡くされてる方がほとんどで、お線香も無いという。
道路や土手や山中とか、お供えの花がいたる所にありました。
家だけでなく、いろんな現場に行きました。中学校の校庭のヘドロ出し。牛のいない牛舎のヘドロ出し。
お寺のヘドロ出し。
全国から集まった人達… 九州・京都・大阪・神奈川・山梨・東京…
いろんな人が来てた…
・・・・・・
石巻専修大学がボランティアの統括拠点となっていて、
リーダーは毎晩ここに行き、活動報告やら状況を把握。
いろんな団体の代表達が集まり、分担を決めるのだそう。
私達も毎晩、食事の後にミーティングがあり、リーダーが専修大学で得た情報や翌日の活動エリアなど説明がある。
で、その時に聞いた衝撃的な状況報告は…
「復旧作業が入った民家は、全体のまだ 2%… 」
1か月以上経っていても、まだこの数字…
とにかく人手が足りないという。
今後はもっと人手が減るのでは?と懸念してるそうです。
週末だけでも、いや一日だけでも来てほしいそうです。
マッサージとか、床屋さんなどなど、そういった事も求められてました。
そこで、ここの河北BCでは単独個人で来る人も直接に受け付けるそうです。
統括リーダーの許可を得て、この方の電話番号を教えてもよいと言われました。
ここは、食事や寝る所を提供してくれます。
地元の方のお風呂も借りれますが、車で15分?も走れば道の駅があり、併設されてる温泉に500円で入れます。
参加されたい方、質問がある方はメッセージ下さい。
東北は頑張ってましたよ。 でもまだまだ大勢の力を必要とされてました…
なんだか、長くなっちゃったけど、
支援の方法っていろいろありますよね。
それぞれが、出来る形でいいと思います。
自分はたまたま、仕事も時間も都合がついたから。
また、都合がつけば行きたいと思います。
4人と約束したしね。 また再集結しようって…
で、落ち着いたら一緒に山に登ろうって…
仙台駅の看板はまだシートが被されてた。もうすぐ新幹線通るんだってね。よかった…
地域貢献という事で、最後にここで食事した。牛タン!美味しかった!
テヘヘ…
(腰と腕が痛い… なれない作業したからだな… さて自分の仕事もがんばっぺ!p(^-^)q)
mayu

無事に終了
無事に、宮城県-河北での作業を終えて
今、仙台から福島行きの在来線に揺られています。福島から先は新幹線に乗り換える。
昨日は、滞在中一番きつい作業だったかも?しれない…
現場は海岸に程近い、大手ふ頭に行った。
海近くだから震災被害は地獄絵図のよう。
そこはまだライフラインが寸断されたままで、電柱が根こそぎ倒れると言うより、根元からちぎれたと表現した方が適切かもしれない。
信号機はもちろん無く、警官が手信号で自衛隊車両や救援車両など誘導してた。
ふ頭から300㍍ほどの、奇跡的に倒壊しなかった、とある新築の巨大なお寺の汚泥除去作業をした。
お寺の外壁には津波の痕跡が物凄い高さの、あり得ないところに残っていた。
ここの作業は急がれていた。お寺を稼働させる必要に迫られた事があるからだ…
これがまさに、過酷な作業だった…現場には業者さんや、国士舘大学の生徒さん達が来ており、彼らとの連携となった。よく働く学生さん達で感心した。やりやすかった。
真っ暗な狭い縁の下に潜り、汚泥を除去するのだが、巨大なお寺故に床下面積が半端じゃなく広かった。迷路のようで、出るときは「出口どこぉーっ!??」と大声で聞き、知らない人が「こっちだー!!」と誘導してくれる。
ずっと四つん這いでヘッ電で手元を照らし、グニョグニョ汚泥と臭いと、しゃがみ姿勢、暑さとの闘いでした。
塀しょ恐怖症な方は難しいかもしれません。
出入り口は僅か1.5㍍×50㌢。ヘドロのバケツリレーもそこから。
私達より国士舘が1時間ほど先に潜っていたが、すでに疲労が伺えた。
ので、バケツリレーを頼みました。
うちら(泥かき名人だのヘドロバスターズだのと呼ばれ…後日説明します)4名はこれまでの連携作業で、いつのまにやらチームワークは完璧だった。
汚泥の状態で使う道具が瞬時に決まる。この日最後だったし、やり残したくなかったから、いつも以上にピッチをあげた。
12時に終わらせた。
地上に出てからは下水口に詰まったヘドロをスコップでとる…
半端ない長さと深さとヘドロの厚み。そして重い…
雨が降ってきて、大多数が寒さと放射能汚染雨?と気にして車に逃げる

カッパ着てりゃ大丈夫でしょ!と、また4人でエンヤコラサッサ…
担当エリアは完了した。
戻って食事や風呂を済ませたら眠くなってしまったが、最後の夜とゆう事もあり、反省会(酒)しようとゆう事で、ちょっと飲みました。
いろんな事を話し合った。もちろん4人で。
感じた事や気付いた事など。
寝床に戻り、シュラフに入ったら、秒殺的に寝たらしいw
その前の日も、即行寝たらしく、携帯でブログ打つ?なんて記憶に無いくらい、これまた秒殺的に寝た。
また、落ち着いたら。
現地で聞いた事とかね。ブログのせますね
今の感想…
行ってよかった…。
早くビール飲みたいにゃ

mayu
みんなの輪
ちょいと 今日はハードでした…
クタクタ…でも…ね、
作業的にも、段々要領を得てきた点もあり、
その分効率もよく、時間も有効に使えるようになりました。
メンバーも増え(女子が!)何だかしらんが
私ごときが、その子達に作業手順やら
教える立場になってしまって…(ゲッ!)
女性群は全身、泥まみれで奮闘する一日でした…。
コミュもなかなかよくとれて、順調です。
輪ができたとゆう感触でした。
こんな輪がもっと広がればいいな…って
純粋に思った…
では寝ますね
おやす~
(夜中、トイレに起きて、ブログ途中て寝ちゃてたみたいだから、ゴソゴソ仕上げました)
mayu
無事で二日目
今日も無事、作業を終えて
今、シュラフの中から…
慣れない作業だから、腕とか痛いけど
地元の方々を考えれ
ば、
もちろん、そんな事は口に出せる状況ではない。
全国から支援の為に沢山の方々が来ていた。
夕飯には、地元の人がたくさんのおかずを作って差し入れして下さいました。
この状況下で、こんな心余るもてなしに
ふるえた…
「味しいです!有り難うございます!」と普通に返すのがやっとだった。
涙を見せずに言う事が
こんなに難しい事だとは…
さすがに宴会なぞ、する雰囲気も無いし、気分なんて無い…
さて…
明日も早いから寝ますね…
おやす~
mayu