https://ameblo.jp/64152966/entry-11582063047.html
こうした存在状況のなかで それでも 寿命が来るまでは生きなければならない
与えられた永遠の生命 不自然・不純、 限度無き所有欲、 利他性(恩恵を受け合い、授け合っているからこそ生きられている事実。自覚に意識が上がって来ないだけ。
有償・無償に拘らず助けられている事実を認めると 自分に~他へ対してさえも(度を越した不実・理不尽‥でない限り)疎かな見方できなくなってしまう~ と思う)
観続けていると 植物も動物も 自然界~ 調和をはかりながら利他性の連鎖でなっていると~自分はそう思える・・・そうでないと それぞれ存在自体のバランスをも保てず崩れ なり立たなくなって
1984年 新聞にちゃんと人工地震は報道されていたのですね 元記事をどうぞ…
意味も解らず新聞等々・・ 自分は眺めているだけだったのです
説明受けたとしてもやはり わからないでしょう―ーわかろうとすらしない 根が他事・他者へ無関心 唯我独尊我欲がなかなか手放せない
利他性 利他性の行いの中に秘有する自分の意思。その自分の意思は利他性という自然の摂理と微かながらも同じ類と知った自分意思。自分の意思と普遍的意思と~
~~同類 希望 決して大げさなものではない 素朴
それを辛苦に見舞われ‥ 時に 一滴の有難い思いを受け 味わい 知らしめさせられる厳しい地上
苦しいけれど 意味がある 利他性の意義を理解できると命の意味も仕合せにも気付くと 思う 歩まねばならない次へといける
他の生きもの比して 人間は鈍感で尊大の度合いが増し 謙虚・謙遜・敬意
薄くなった 自分を過大評価し過ぎたと 今はそう思える