法隆寺金堂と五重塔
日本の「木の文化」に対し、西洋は「石の文化」といわれます。古今東西の建造物を見ていただければお解りいただけるでしょう。
エジプトのピラミッドやギリシャの神殿などのように、ヨーロッパや中近東では、石を用いて建築物や工芸品を作りました。建てたときは永久不滅のものだったのでしょうが、しかし、その多くが今では廃墟になっています。しかも、建物が壊れて廃墟になっただけではなく、それを作った技術は勿論のこと、さらには、信仰や精神も消滅しているのです。
往古の昔より、日本人は木の家に住んできました。木にはいのちがあり、日本人はその木のいのちに包まれて、生活してきました。そこには、自然との深い融合がありました。今日の日本人は、そういう伝統の中にある心を忘れているのではないでしょうか。
平成7年に86歳で亡くなった明治生まれの気骨人、西岡常一氏ほどそのことを強く感じさせてくれる人は居ません。氏は、法隆寺の近くの宮大工の家に生まれました。昭和9年から始まった「昭和の大修理」で、氏は、現存する世界最古の木造建築である法隆寺の金堂や五重塔の解体修理を手がけました。
西岡常一氏
西岡氏は述べています。
法隆寺は1300年もの間、立ち続けてきましたが、その材木について、氏は次のように語っています。
「……ただ建っているといふんやないんでっせ。五重塔の軒を見られたらわかりますけど、きちんと天に向って一直線になっていますのや。千三百年たってもその姿に乱れがないんです。おんぼろになって建っているというんやないですからな。
しかもこれらの千年を過ぎた木がまだ生きているんです。~~
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大工たちはこれまで教科書以外でこのような畏敬の念を抱かせる建具を見たことはありませんでした。
この業界で50年の経験を持つ日本人大工の親方ですら、これまでそのような昔ながらの職人技に目を向けたことはなかった。築95年の2階建て古民家(伝統的な日本家屋)の木骨を調べたところ、作品を留めている釘は1本も見つからなかった。
ディラン・岩国さん(26)は、古民家や神社など日本の伝統的な建築プロジェクトに取り組んで、現場から現場へと頻繁に移動している。この古民家は建築会社のオーナーが所有していたもので、その後放棄され、椅子のデザイナーである吉野高氏に売却されました。彼のビジョンは、富士山を望むカフェを備えた椅子の博物館に変えることでした。
そこで岩国氏と彼のチームの出番である。彼らの使命は、古民家を東京近郊の埼玉の現在の場所から、まず作業場に移設することであり、そこで多くの発見や探検が行われることになる。そして最終的には山梨県に納品され、再び組み立てられることになります。
当初、古民家は近代化された外観に直面して、驚くべき建具はほとんど隠されていました。解体が始まるまで、大工たちの心は吹き飛ばされた。まず、彼らは関節がどのように組み合わされるかを理解する必要がありました。これは、彼らの経験にもかかわらず、困難な作業になるでしょう。なぜなら、目に見えないものにどうやって取り組むのでしょうか?
「建具は外から見ると隠れているので、分解する方法を知るために、どのように接続されているかをある程度理解する必要がありました」と埼玉出身の現役大工、岩国氏は大紀元に語った。「それは個人的にも非常に魅力的でした。」
彼はこの取引の背後にある歴史の一部を明らかにした。昔、釘を手で鍛造する必要があり、高価だった時代、日本の大工は、組み合わされた建具やくさびの複雑なシステムを通じて木材を結合し、さらには締め付ける方法を見つけました。
このようなシステムは、現代のネジと同じ締め付け効果を達成でき、金属製の留め具はまったく必要ありませんでした。当時は電動工具などなかったので、すべて手作業でした。これが、今日カスタム古民家が非常に高価である理由を説明しています。