2024年の始まりは、朝起きて親からの日本の地震の情報。


わたしも阪神淡路大震災を経験しているのでこの寒い冬の中被災されている方のことを思うと心苦しいですが、本当に被災者が一日も早く落ち着いた生活ができるようにと願っています。


こういう災害が起こるとテレビや動画、ネットでニュースを探したりしがちですが、被災していないわたしたちは情報を取りに行くのもほどほどにしたほうがいいなと思っています。

繰り返し見ているとやはり不安は募ります。映像や音ってかなりのインパクトがあります。燃える街の様子、倒壊した家々、泣いている被災者、地震の様子、、、


わたしが考える被災していない者ができることは、嘘か本当か分からないことをネット上で流さないこと(混乱を招くようなことはしない)、義援金・募金など中抜き問題などあまりない団体を調べて送る、明日は我が身でもう一度自分の防災を見直すこと、情報は受け身ではなく知りたい目的を持って取りに行く(ダラダラ見ない)、辛く感じたら情報と距離を取る、自律神経は不安で乱れるので早寝早起きをする、今困難な状況にある被災者やその家族、救助活動をしてくださっている方々へ心を寄せること、そして被災してないわたしたちはわたしたちの生活を続けること、他にも沢山ありそうですがわたしの考えるところはこんなところです。


便利になった世の中。でも災害が起こればその便利さも使えません。便利さ、快適さに慣れすぎるとそれが一気になくなったとき、生きていく力が発揮できないこともあるんじゃないか??なんて思います。


阪神淡路大震災を経験した時、水もガスも電気もなく、風呂好きのわたしでも一週間以上お風呂も入れずでしたが、脳みそが非常事態モードになっているので頭が痒いとか汚いとか感じませんでした。子供ながらにそんなこと気にしてる場合じゃなかったんだと思います。でも今のわたしはあの日常に戻った時の有り難みを忘れてしまってたかも...


...あの頃よりはるかに便利になった今の世の中で、急に何も無くなった状態になっても生きていけるくらいの強い自分を作っていくのと、物に頼りすぎない、そして物は本当に自分のお気に入りの最小限で生きてくのがいい、とわたしは感じています。