新型感染症が流行りつつある今、私は両親と話をしました。



それは、両親共にもしものことがあったらどうするか、ということです。



そういった話はとても大事なことです。脳死の際の臓器提供の意思表示と同じで、家族で一度は話し合うべき内容だと思いますし、新型感染症の流行しつつある今だからこそしておくべき話だと思います。



でも、今の私には答えを出せなかった。



私の今の体の状態では、到底人並みに働くことはできません。



これからの生き方というものを模索しつつあった今の時期に、新型感染症の出現によって「人間はいつ死ぬかわからない」というわかりきっていたけれど想像を避けていたことが顕著化して、心が苦しくなったのです。



私だって、無論いつ死ぬかわからないのだから、毎日を精一杯生きたい。
でも、それが出来ない。私にとっての精一杯を今は満たせない。理想と乖離しているのです。



起立性調節障害は、特効薬がありません。
未来に託すしか方法がありません。



動きたくても体は動かないし、例えばこういう出来事があって気持ちが動いたからすぐ行動にうつす、ということも気軽に出来ません。



2,3年ならまだわかります。
未来に託す、時間をかけることも大切です。



ですが、5年以上でまた成人も既に迎えた患者に、まだ未来に託せと言うのでしょうか。



いつまでなのでしょう。



もしかすると、私は未だに自分の状況を受け入れられていないのかも知れません。



でも、そんなの受け入れられるわけないですよね。
何故なら、いつか治るって言われてるわけですから。



やりたいことが出来るような体にいつかきっと戻ると、私自身信じている。



もし、一生付き合っていかねばならないものなら、それなりに心の準備というものが必要です。



でもそれは、医師にさえ断定できないのでしょう。
何故なら、いつひょんなことから治るかわからないですから。



治ることだけを信じてきた私も、治らない場合、といった心の準備を本格的に始めなくてはならない時期が来たのでしょうか。



今年で通信制大学4年。学生生活の終わりがすぐそこまで見えてきています。



考えれば考えるほど、わからなくなってくるのです。



こうみ

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