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こんにちは~、稲垣美和です。突然ですが、皆さんは誰かのことを「羨ましい」と思ったこと、ありますよね?きっと、そういう感情を持ったことがない人なんていないんじゃないかと思います。世の中では、他人と比較しないほうがいいなんて言われますが、たくさんの人が周りにいる状況で比較しないほうが難しいところですよね。で、他人と比較するとやっぱりどこかでは「羨ましい」と思ってしまうのはしょうがないんじゃないかと思います。

 

 

 

 

例えば、その「羨ましい」っていう感情が、自分の憧れにつながるのであればいいんじゃないかと思うのですが、もしそれが嫉妬や妬みというものになってしまうのなら、そういうものはできるだけ手放していくのがいいんじゃないかと思うんです。

 

 

 

まず、「羨ましい」と思う気持ちって、なんか卑しい感じがしてあまりいい感情とは思われていないかもしれませんが、実はそこまで悪いものではないと私は思っています。それはどうしてかというと、そこには自分の成長や向上につながる何かが隠れている可能性があるからです。

 

 

 

 

「いいなぁ~」「羨ましい」って思っているってことは、それを自分は持っていないって思っていることですよね?。当たり前のようですが、自分がすでに「羨ましい」と思っているものを手にしているのであれば「羨ましい」なんて思うことはないはずですからね。

 

 

 

 

そして、自分はただ持っていないと思っているだけではなく、それを手に入れたいと思っているわけですよね?。これも同じように当たり前だとは思いますが、自分がいくら持っていなくても手に入れたいと思っていなければ「いいなぁ~」「羨ましい」なんて思わないと思うんです。

 

例えば、車を持っているかどうかを例にとってみましょう。この話の前提として、友人のAさんが誰もが憧れる高級車を持っているということにしましょう。で、もし自分もAさんと同じ車を所有しているとしたら、Aさんに対して「羨ましい」なんて感情は湧かないですよね。

 

 

 

そして、たとえ自分は車自体を所有していなかったり、もっと安い車を持っていたとしても、その高級車を欲しいとも思っていなければ「羨ましい」とも思わないんじゃないかと思うんです。そうです!感情は反応しているからですね?。では、じゃあどうして「あいつ、いいよなぁ~」「羨ましい」という感情が湧くかというと、自分がその高級車を持っていなくて自分がその車をどうしても手に入れたいからなんじゃないでしょうか。

 

 

 

こんな感じで、自分は今現在持っていなくて、自分がそれを手に入れたいと思っている状況にいる場合に「羨ましい」と思う羨望の感情って生まれるんだと思います。ここまでは車という「もの」を例えに話してきましたが、これはこのように目に見える「もの」だけではなく、「能力」や「経験」や「環境」や「成功」目には見えない才能やセンスなど、ものにも当てはまるんじゃないかと思います。

 

 

 

 

 

私はそういうものには自分の成長や加速させるなにかのチャンスが隠れているんじゃないかと思うんです。例えば、自分が何か芸術やスポーツをやっていたとして、芸術家やプロの選手に対して何か「いいなぁ~俺もあんなふうになりたい」「羨ましい」と思ったとします。それはそうですよね、芸術家やプロの選手は自分にない何かを持っているからプロになれたわけですからね。

 

 

 

でも、こういう時の「羨ましい」って意外と自分が何に対して羨ましいって思っているのかはっきりしていなかったりするんです。上に書いた車のようにわかりやすいものであればあれですけど、目に見えないものだとただぼんやりとなんとなく「いいなぁ~」「あんなふうになりたい・・」「羨ましい」と思っていることが多いんじゃないかと思います。

 

 

 

こういうふうに誰かの目に見えない何かに「羨ましい」と思ってしまった時には、時間をとって自分は何に「いいなぁ~。俺もあんなふうになりたい!」「羨ましい」と思っているかをじっくりと考えてみるといいと思います。もしかしたらそれを追いかけてみたら自分が何かしら向上してみよう!と成長できる可能性があるからです。

 

 

 

そして、上に書いたような誰かの目に見えないものに対する「あいつ、いい思いしている」「羨ましい」がいい意味で作用するのが憧れなんだと思います。誰かが持っている自分が持っていないものに憧れるってことは、おそらくそうなりたいなぁとか、あんなふうにかっこいい人になってモテたいなぁ、とか、そこに近づきたいなぁとかいう気持ちが入っているんじゃないかと思います。そんなうふうに思える場合は、そこを追いかけてみるといいと思います。

 

 

 

たぶんこれは健全な「羨ましい」だと思います。例えば、有名なシェフの料理技術を「羨ましい」と思って、その技術を習得するために自分の力で努力してそこに近づこうとする場合だったら全然「羨ましい」「近づきたい」と思うの純粋な気持ちで、ありだと思います。

 

それはなぜかというと、その自分が持っていなくて自分が欲しいと思っているものを持っている人のことをちゃんと認めているからです。その人がそれを持っていることに対してネガティブな感情が一切ないからです。

 

 

 

 

ですので、私はこういう憧れにつながるのであれば、「羨ましい」という感情はどんどん持っていいのではないかと思います。逆にそういう感情を持たなければ人ってよっし、近づこう!と、成長していかないんじゃないかとは思います。

 
 

 

でもですね、時に「羨ましい」っていう感情は、怒りや僻みという負の感情につながってしまうこともあります。私はこれのことを嫉妬や妬みというのではないかと思うんです。この場合、自分が持っていなくて自分が欲しいものを持っている相手のことを正当な理由もなく許せなくなってしまうんだと思います。怒りや憎しみのネガティブな気持ちです。

 

 

 

「なんで私ばっかりこんなに頑張ってるのに、あの人は簡単に成功してるんだろう?」そんな風に感じたこと、ありませんか?SNSを見ていると、友達の華やかな生活に羨望の気持ちが湧くことがありますよね。でも、その羨望の感情、実は私たちの社会文化的環境が大きく影響しているんです。

 

 

 

私たちが「羨ましい」という言葉を聞くと、どんなイメージが浮かびますか?例えば、ディズニーのシンデレラに出てくる意地悪な継母や姉たち。彼女たちはシンデレラの美しさや純真さを妬んで、彼女をいじめます。こうした感情は、時として大人世界に関連付けられ、毒のような感情とされています。

 

 

 

羨望が人に特に関連付けられるのは偶然ではありません。人は、劣等感や自己疑念を感じやすい環境に置かれがちです。社会は女性に対して、完璧さや多くの価値ある人物を求める一方で、そのなにかを手の届かない場所に置きます。結果として、自分が不利な立場にあると感じ、他人の成功を羨むことが増えるのです。

 

 

皆さん、誰かに「すごいね!」って言われたら嬉しくなりますよね?この「すごいね!」って言葉を聞きたい、認められたいという気持ちが「承認欲求」です。

 

 

 

これは誰でも持っている自然な気持ちですが、時にはこの気持ちが強すぎて、自分を苦しめてしまうことがあります。例えば、何でも白か黒かで考えてしまう「白黒思考」に陥ると、「認められないなら全然ダメ」と極端に考えてしまうことがあると思います。これが自己不全感を強める原因になることがあるからです。

 

 

例えば、持っている相手に対して「なんであの人だけ」とか「あの人はずるい」とか「自分だけ・・」思ってしまっているとしたら、それはもしかしたら嫉妬なのかもしれません。で、もしこういう風に相手に対して怒りが湧いてきたり、自分のことを僻んでしまうような状況になってしまったとしたら、上に書いた憧れの場合と違って、おそらく自分で「羨ましい」と思っているもの(もしくは嫉妬しているもの)を追いかけるようなことはしないんじゃないかと思います。

 

どちらかと言うと、「なんかあの人、ムカつく」「あの人って生意気でイライラする」自分はそこから逃げてしまうんじゃないでしょうか。

 

 

岡山大学で行われた調査では、以下のような結果が得られました。

 
 
 

 

 

 

調査では、自己不全感の平均値は3.0±1.2で、友人の身勝手な行動や自己イメージを維持するための行動が自己不全感を高めることがわかりました。こんな風に嫉妬心を持ってしまうことは誰にでもあると思います。その感情にまで蓋をする必要はないとは思います。でも、その嫉妬に関してはあまり長く持ち続けないほうがいいとは思います。

 

 

 

 
 

 

もし、できそうであれば手放したほうがいいのではないかと思うんです。でも手放すと言ってもそんな簡単にできることではないとは思います。まず、初めにできることとしては、もうそのことについては見ないで、考えないことです。他人がいくら自分が欲しいものを持っていたとしても、もうそれについては忘れることです。

 

 
 

 

できることなら自分の持っているものに目を向けることだと思います。自分が誰かのことについて羨ましいと思っているのと同じように、誰かはこちらのことを羨ましいと思っているはずなんです。そんな風に思えるようになれば、少しは嫉妬心は手放せるようになるかもしれません。でも、それでも嫉妬が頭から抜けないというのなら、それを考えられないくらい何かに集中したり、没頭することなんじゃないかと思います。

 

 
 
 

 

人って結構同じことを頭の中で考えてしまいます。ぐるぐると同じことを繰り返し繰り返し考えてしまいます。そうすると本当に思考がそこにとらわれて止まってしまうんです。ですので、自分が没頭できる趣味や逃げ場を見つけてそこに無心で集中することでその思考からは消されたりもします。

 
 
 
 

 

二つ目は、これも無心で集中や夢中になって没頭につながるのですが、何か自分が楽になるような暗示を頭の中で繰り返すのです。嫉妬心が頭の中から出ていくまで繰り返すのです。このようなことを続けていることで少しずつでも自分の中から嫉妬心は薄れていってくれるはずです。だからと言うわけではないですが、相手に対する「ずるい」「羨ましい」が怒りや僻みに繋がっているなぁと思った時は何かに没頭することを考えてみるといいのかもしれません。

 
 
 
 

最後に

いかがだったでしょうか?おそらく誰にだって少なからずは他人のことは「いいなぁ~」「羨ましい」とは思うんじゃないでしょうか。その「あいついいなぁ~」「羨ましい」を自分を成長するためのバネにできるならそれはとてもいいことだとは思います。逆にそういう他人のことを「いいなぁ~」「羨ましい」と思うことがなければ人は成長していかないと思うからです。

 
 
 

でも、「羨ましい」がその人に対する怒りや僻みになってしまうようでしたら、その「羨ましい」は離したほうがいいと思います。そういう嫉妬心を持ち続けても何も問題は解決することはないと思うからです。そんな時はあまり他人と比べ過ぎないほうがいいです。できる限り自分の長所に目を向けるといいんではないかなと思います。

 

それではまたの機会にお目にかかれる日を楽しみにしています。チャオ!

 

 

 

 

参考文献
https://www.jstage.jst.go.jp/article/pacjpa/82/0/82_3PM-039/_pdf/-char/ja

https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/18454/p135.pdf

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsyap/27/1/27_23/_pdf
https://www.jstage.jst.go.jp/article/pacjpa/72/0/72_1EV145/_pdf/-char/ja