私の先生はこんなことをおっしゃっていました。

「研究とは、山の頂上に小さな小石をのせるようなもの」

自分の研究の成果を過去に積み上げられた理論の上に乗せる。

でも、その積み上げられた小石でも、「これは論理性が無い」「この観点から見ると説明出来ない」と
いわれて、頂上から転げ落とされるものもある。

そんな負荷に負けずに、積み上げられた小石だけがその山を高くする。

だけど、転げ落とされた石も何の価値を持たない訳でもない。
転げ落とされたといても、その山の高さを変えることが出来なくても、山の幅を広げたり、山の大きさを増加させることが出来る。


100年に1度とか、1000年に1度とか、いつ現れるのかはわからないが、「大天才」が現れることがある。

その天才達の小石は、山に乗せたとたんにジャンプするらしい。
ジャンプするときというのは、山の頂上付近は小さな小石が集められた所だから、崩れてしまう。

このような天才達とは最近で言うとニュートンとかアインシュタインなど。例を挙げたらきりがないけど。

ニュートン力学というのが、物理の全ての法則を表していると言われている時代もあった。17世紀頃のことだ。
だけど、相対論じゃないと説明出来ないことがあるとわかった。光の速度で動くものを説明するときはニュートン力学だけではなく、相対論を使わないと説明出来ない。
それは、ニュートン力学で全て説明出来るっていう理論を壊すこと。
でも、アインシュタインがはじめとした相対論でも、説明出来ないこともあるかもしれない。
量子論の基礎となる、ハイゼンベルクの不確定性原理なんかがそうだろう。

事実、量子論と相対論は互いに矛盾していて、お互いのことをお互いで説明出来ない。

いつかわからないけど、奇跡的な神懸かり的な天才があらわれて、量子論と相対論を統一する時が来るのだろうか?

矛盾している理論を統一することは、アインシュタインの夢であった「統一理論の完成」だ。



話を積み上げられた小石の山に戻すと、

今、自分の積み上げられているものも、自分が生きている時代に現れるかどうかわからないが、大天才が現れてジャンプする小石でぐちゃぐちゃにこわされてしまうかもしれない。

想像からすると、今まで自分が信じてきたものが壊されて、積み上げられてきたものが否定される訳だから、それはもうけっこうなショックだろう。

だが、それでもいいから、私はその石を積み上げる作業をしたいと思う。

ジャンプする石の土台に自分が積み上げた石がなってくれたらいいと思う。

土台がしっかりしなければ、ジャンプすることは出来ない。



ジャンプした石は別の場所に着地して、そこにみんなでまた石を積み上げていく。