ヨセフは言った、「わたしは決してそのようなことはしない。杯を持っている者だけがわたしの奴隷とならなければならない。ほかの者は安全に父のもとへ上って行きなさい」。
(創世記44:17)

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芥川龍之介の短編小説『杜子春(とししゅん)』では、何があっても絶対に声を出さなければ仙人になれるという設定です。

杜子春は様々な試みにパスしますが、最後に、閻魔大王が地獄に落ちて馬になった彼の両親をむち打って、

「この不孝者めが。その方は父母が苦しんでも、その方さえ都合が好ければ、好いと思っているのだな」

と迫ります。

杜子春は頑として黙ったままでしたが、最後の最後に母親の言葉を聞いて心が動かされます。

ちなみにこの小説はハッピーエンドで終わります。

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さて、ヨセフはこの閻魔大王の言葉のような試みを兄たちに投げかけました。

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ベニヤミンの袋の中にヨセフの銀の杯が見つかったのですから、どんな反論も無意味です。

ベニヤミンは捕らえられ、兄たちはヨセフの家に戻ります。

ユダは兄弟を代表してこう言います。

「われわれと、杯を持っていた者とは共にわが主の奴隷となりましょう」
(創世記44:16)

つまり、自分たちも罪の連帯責任を負い、ヨセフの奴隷となって償うというのです。

こういうあまりにも綺麗すぎる答えが出る時は、本音から出た言葉ではないことが多いのです。

そこでヨセフは、次の甘い言葉で彼らの本心を誘い出そうとします。

「わたしは決してそのようなことはしない。杯を持っている者だけがわたしの奴隷とならなければならない。ほかの者は安全に父のもとへ上って行きなさい」
(創世記44:17)

つまり、

「いや、あなたたちは助かるよ。無事に家に帰れるよ」

と、兄たちの身の安全を保証したのです。

これは先の閻魔大王の言葉を使えば、

「兄さんたちは弟のベニヤミンが苦しんでも、自分たちさえ都合が好ければ、好いと思っているのですか」

と問うているのと同じです。

もしここで兄たちが、自分が助かればそれでいい、と、ベニヤミンを見捨てれば、彼らは以前と何も変わっていないということになります。

この強烈な試験に、兄たちはどう反応するのでしょう?

また、ヨセフはその結果を見てどうするのでしょう?

以下、次回に続きます。

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今日の試みを乗り越える力を神に求めて参りましょう。

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