神の前に沈黙せよ(6月23日)

「最近の生徒は授業中しゃべってばかりいる」と嘆く大人がいます。昭和の時代、授業は黙って先生の話を聞くものでしたが、自分の個性を主張するのが当たり前になった令和の時代はそうも行きません。

旧約時代、人々に強い調子で「黙れ!」と語った預言者がいます。それはゼパニヤです。王家の血筋を引く彼は、国のリーダーとなる層の人々が、真の神から離れて異教習慣に身を染めていくのを黙って見ているわけにはいきませんでした。「主なる神の前に沈黙せよ」(ゼパニヤ1:7)とは「あなたには語らせない」という意味の言葉です。神の前で語らせてもらえない時があるのです。それは、私たちが神からあまりにもそれているためであり、そこから引き戻し、御自身のもとに取り戻したいという神の強い愛の現れなのです。

理想を抱いて赴任した新任教師が壁にぶつかりました。丹念に忍耐を持って生徒を指導しますが、こちらの言うことは聞いてもらえません。あきらめの気持ちが湧いてきたり、対立を避けて平穏に進めたい自分の本音が見えてきます。そこで、あえて「黙れ!」と叱り、指導していくには、相当の愛の準備が必要であることを、彼は身をもって知らされています。

神の裁きの背後にはこの大いなる愛があることを忘れずに、今週の様々な出来事に取り組んで参りましょう。