そこでイエスは答えて言われた、「それらのガリラヤ人が、そのような災難にあったからといって、他のすべてのガリラヤ人以上に罪が深かったと思うのか。
(ルカ13:2)


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米沢という豪雪地に長期間滞在する方に私がアドバイスすることがあります。

「一冬お過ごしになるのなら、雪道用の長靴は米沢のお店でお買い求め下さい」

なぜでしょう?

地元の経済発展に協力せよということでしょうか?

いいえ、そうではありません。

都会の店やネット通販では、雪国仕様のピタリとくる長靴は選べないからです。

やはり地元の人が選ぶものが最適です。

それはこちらに来てからでないとわからないのです。

今日の箇所は、なぜ人々がわざわざエルサレムから来てガリラヤ人の災難を告げに来たのか、その真意をイエス様がすでに見抜いて答えられたところです。


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2節のイエス様のお答えはこうです。

「それらのガリラヤ人が、そのような災難にあったからといって、他のすべてのガリラヤ人以上に罪が深かったと思うのか」
(ルカ13:2)

これはかなりの部分を一挙に飛ばしていますので、中間を埋める解説をします。

まず、イエス様は、彼らがなぜエルサレムから来ているのか、その意図を見抜いておられます。

都から来た律法に精通している人々は、イエス様を攻撃しに来たのです。

彼らは「イエスはメシアである」とは認めておらず、ベルゼブルという悪霊のかしらの力によって奇跡を行っている者だという認識ですから、当然イエス様を見下しています。

そして、なんとかしてその正体を暴いてやろう、異端者であることを証明してやろうとしています。

そこで、ガリラヤ人の話をしました。

イエス様はガリラヤ地方のナザレ村の出身だったからです。


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さて、エルサレムから来た「ある人々」は、ピラトによってガリラヤ人が虐殺された話をしました。

なぜそんな災難に遭ったのか?

「ある人々」の解釈は、こうです。

「殺されたのはガリラヤから来た人たちで、エルサレムのユダヤ人ではない。ピラトによる災難を受けたガリラヤ人は、田舎者で、よく律法を知らず、罪深かったのでそうなったのだ。しかし、我々エルサレムのユダヤ人はそうではない」

罪があったので、その報いで災難を受けたという論理です。

「イエスよ、お前もガリラヤ人なのだから、そうなるぞ」

という脅しとも取れます。

ところが、これに対してイエス様は、

「あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう」
(ルカ13:3)

と言われ、不慮の事故や災難に遭って死んだ人たちが、他の誰よりも罪深かったからだという考え方を否定されました。

そして、エルサレムでも同じ事があったではないか、と、シロアムの塔の事故によって18名の人命が失われた出来事をお話しになりました。

つまり、

「エルサレムのユダヤ人は罪深くないから災難を受けないのか?いや、そんなことはないだろう」

ということで、ガリラヤ人もエルサレムのユダヤ人も、悔い改めなければ同じだと言われたのです。


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悔い改めとは何かを深く考える今日として参りましょう。



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