止まりさえしなければ、
どんなにゆっくりでも進めばよい
(紀元前 552 年または 551 年 - 紀元前 479 年)
孔子(こうし/くじ、英語: Confucius [kənˈfju.ʃəs]、拼音: Kǒng zǐ 、朝: 공자 [ˈko̞(ː)ŋd͡ʑa̠]、紀元前552年または紀元前551年 - 紀元前479年)は、春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖[1]。氏は孔、諱は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。孔子は尊称である。ヨーロッパではラテン語化された"Confucius"(孔夫子の音訳、夫子は先生への尊称)の名で知られている。読みの「こうし」は漢音、「くじ」は呉音。釈迦、キリスト、ソクラテスと並び四聖人(四聖)に数えられる[2]。
有力な諸侯国が領域国家の形成へと向かい、人口の流動化と実力主義が横行して旧来の都市国家の氏族共同体を基礎とする身分制秩序が解体されつつあった周末、魯国に生まれ、周初への復古を理想として身分制秩序の再編と仁道政治を掲げた。孔子の弟子たちは孔子の思想を奉じて教団を作り、戦国時代、儒家となって諸子百家の一家をなした。孔子の死後約400年かけて孔子の教えをまとめ、弟子達が編纂したのが『論語』である[3]。
約3000人の弟子がおり、特に「身の六芸に通じる者」として七十子がいた[4]。そのうち特に優れた高弟は孔門十哲と呼ばれ、その才能ごとに四科に分けられている(そのため、四科十哲とも呼ばれる)。すなわち、徳行(論語古義によると徳行は、言語・政事・文学の三者を兼ねる)に顔回・閔子騫・冉伯牛・仲弓、言語に宰我・子貢、政事に冉有・子路、文学(学問のこと)に子游・子夏である(その中でも子路と孔子のやり取りが論語のなかでは1番多い)。その他、孝の実践で知られ、『孝経』の作者とされる曾参(曾子)がおり、その弟子には孔子の孫で『中庸』の作者とされる子思がいる。
今日の単語
葬る
[はぶる]
動
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死体を埋葬する。ほうむる。
"神葬かむはぶりはぶる・り奉れば / 万葉集3324"
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火葬にする。
"薪をつみてはぶる・りて,上に石のそとばを立てけり / 古今著聞集2"
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