2019年12月の記事の再アップです。
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「可哀想な私」を無意識に
アピールしてしまうとき
複雑な問題がたくさんあって
私、大変なんです…
というアピールすることで
見ないようにしてるものがあるとしたら?
本当は自分と対峙することで
見ないといけないもの。
孤独感
劣等感
無価値感
罪悪感
などなど。
このあたりのエネルギーが
自分の中にある人で
それを素直に認められる方は
ごく稀だなと感じます。
自分が大変なことで
ここを無視できるように
感じるかもしれません。
そんな時間が無いし
そんな余裕もないし。
私は毎日とても大変なの。
と、大義名分を振りかざすことによって
誤魔化していること。
これが表面化してくる時期に
差し掛かってると感じます。
この局面を迎えてる人が本当に多いです。
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今、するべきことはただ1つ。
それを認めて手放すこと。
「可哀想な私」を演じることで
手に入っていたと思っていたこと。
「可哀想な私」を演じることで
見なくていいと思っていたこと。
「可哀想な私」を演じることで
得られるように感じた感情。
・・・
無意識レベルのことですので
なかなか気づきにくいかもしれません。
しかし、もしかして?と
自分を疑って見てみるという
新たな視点で自分を顧みることで
見えてくることがあるかもしれません。
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そして、
「可哀想な私」が
「可哀想な私」になり得る十分すぎる理由が
ある!と強く反論したくなったら
それを探ってみてください。
その問題は自分の中にある感情の
あぶり出しだけではないか?
その問題の中で、
例えばその対象者に言われて
傷ついたような気持ちになった言葉は
本当は自分の声ではないか?
どんどんどんどん
探ってみてください。
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本当はこの行動を阻止するために
エゴが作り上げた
「可哀想な私」だとしたら?
そんなカラクリに気付けたら
そこから出ると意図してください。
「可哀想な私」は
本当はどこにもいなくて
それはただの幻想に過ぎません。
そしてそれを作り上げたのは
エゴの自分だということ。
それによって守れると思ったものがあり、
それによって見なくていいと思ったものがある。
それは・・・
エゴが絶対に行かせたくない
本当の自分への入口。
エゴが留まることの出来ない
真我へ戻る旅の入口。