PICUへ面会 2日目 | 7歳で娘が小児がんに

7歳で娘が小児がんに

2021年7月、小学1年の夏休み目前で娘に腎芽腫(ウィルムス腫瘍)が見つかりました。
当時のことを忘れないためにここに残します。
また、同じ病気と闘った人と出会えたらと言う願いを込めて。。。



次の日も、家のことやお兄ちゃんのことを済ませて娘の元へ。

また、娘と私の荷物を車に乗せて向かいます。
まだ病棟には上がらないだろうと思っていましたが、家が遠いためすぐに取りに帰れないこと、それから1日でも早く娘のそばにいたいからお守りのつもりでした。



この日も、私の顔を見ると泣き出しました。
まだぼんやりしていましたが、昨日よりだいぶ意識もはっきりしているようでした。

昨日から、ほんの少しの水分をもらっていましたが、足りないと。
もっとたくさん欲しい。
お腹が空いた。お願いだから何か食べさせてと泣きます。

昨日より意識がはっきりしている分、余計に辛そうで胸が痛い。

ごめんね。
とても大きな手術だったから、まだダメなんだって。ごめんね。

何度も何度も何でもいいからお願い、食べさせて、と言われて、ダメもとで、PICUの先生に、ジュースもダメですか、と聞いてみます。


娘の様子をじーっと見て、口を湿らせる程度からジュース飲んでみようか、と許可がおりました。


そのために鼻から胃に入っている管を抜きました。

そして、ほんとに少しだけお口に入れてもらいました。

おいしい…もっとほしいよぉ〜
やっぱり泣きます…笑

次は30分様子見て、また口を湿らせる程度。

その繰り返しです。

その度にもっと飲みたいーと泣きますが、それでも飲まないよりは落ち着いたのか、ご機嫌でお話ししてくれる時間もありました。

昨日ね、たくさんピンポン押したの。

寂しいのとお腹がすいてつらくて、何度もナースコールを鳴らして看護師さんを呼んだようでした。



次は尿管をとって欲しいと看護師さんに訴え始めます。


これ取ったら自分でおトイレに行かないといけないよ?どうする?

と、看護師さんに言われます。

とってーとってーと娘が言います。


術後2日目です、さすがにまだ無理だよと諭しますが気持ち悪くていやだと言うので、看護師さんがベッドの隣にポータブルトイレを持ってきてくれて、じゃあここまで移動できたら取ろうと提案してくれました。

絶対無理だと思いながら、移動できなければ諦めるかなぁと思い、できるところまでさせてみる事に。


まずはずっと寝たきりだったので、ゆっくり座ってしばらく様子をみます。

そして、私と看護師さんで娘を支えながら、台の上にゆっくりと立たせてみます。


1歩ずつ歩いて隣に設置してもらったポータブルトイレに座ることができました!!

すごく時間がかかりましたが、何とか移動できたので、管を抜いてもらいました。


子どもってすごいな……
純粋にそう思いました。


ジュースも、1食分のお金がかかりますと言われたけれど、いくらかかっても構わないので、飲めるだけあげてほしいとお願いしました。



この日もまだPICUから出ることはできなくて、泣く娘に謝って離れ、またエレベーターの前に座って泣きました。


家に帰るのは娘がPICUにいる間だけだ。
娘が病棟に上がったら、しばらく家に帰ることはできなくなる。
だから帰れる間は息子たちにできることはしてあげたい。
私が作ったお弁当、ご飯を食べさせたい。

娘のそばにいたい一方で、息子たちへの想いも同じだけあり、体が2つあれば、と何度も思いました。

次男は、私が家にいる間、私と一緒に寝てくれました。
こうして、ママが家にいることはとても嬉しい。
毎日いてほしいと思うけれど、妹が病院で1人でいると思うとかわいそうで、妹のそばにいて欲しいと思う。と言っていました。


そうだよね、ごめんね。
早ければ明日から、ママ帰って来れなくなる。
次は、もっと長い間帰れなくなる。
不便な思い、寂しい思いをさせてしまうけれど、決して娘だけが大事だからあなたを放っておくわけじゃない。
3人同じだけ大切だけど、今は小さな体で頑張っている娘のそばにいる事を許して欲しいと話しました。

1番頑張っているのは娘だけど、みんなみんな、それぞれの立場で一生懸命に頑張っている。

私も頑張らないといけないと思いました。