「もしも、ちがう腎性だったら。」と思った事はありますか。例えば、なんだろう。考えてみました。障害のある方が、障害のない人生だったら、どんなに自由に生きられることだろうとか。例えば、自分の友達関係がいつもおだやかでケンカの一つもしたことがないとか。例えば、仕事の福利厚生が整っていて、仕事自体も良く、人間関係もなくストレスのない人生だったら。

そんなふうに思った事はありますか。

もしも、ストレスを一度も感じた事がなかったり、悩みを一度も考えた事がなかったら、それはきっとものすごく幸せなんだと思います。

よく、きれいごとで「神様は乗り越えられる人に試練を与える。」とか言うけれど、本当にそうなのかなとか思います。

でも、私は最近、思うんです。もしも、自分の人生がちがっていたら、今の自分の考え方には至らなかったんじゃないかと。病気を一度もしたことがなかったら、それはとてもラッキーだけど、病気のつらさを知らないと言う事で、病気になった人の気持ちを考える事なんてなかったんだろうなとか思うんです。そして、友達関係も、複雑な女同士のもろい友情のあれこれから、学んだ事もあります。仕事でもそうです。仕事をしていて、いやなことしかなかった時期もあるし、人間関係が最悪で精神的に追い詰められたこともありました。でも、それを経験したからこそ、人には優しくしようと思えるようになりました。不自由な事を経験してきたからこそ、今の自分があるんだと思います。私はたいした人間じゃないけど、少なくとも、他人の悩みによりそい考えることはできます。何も力にならないかもしれないけど、例えば話を聞いてあげるとか、そういう事はできます。だから、「もしも」と思って、ああだったらなとか、こうだったらなとか、時には思うけど、この自分の人生もそんなに悪くないんじゃないかなと、思うようになりました。

例えばなんですが、目が見えなかったら、その不自由さはその人にしかわかりません。耳が聞こえなかったら、その不自由さも、他の人にはわかりません。でも、その不自由ななかでも、いきがいをみつけたり、こういう世の中だったらなと気づきも多いんだと思います。今は、

多様性の時代だとよく聞きます。本当の多様性って、なんだと思いますか。自分の事を主張するだけが、多様性だとは思いません。皆が生きやすいように世の中を変えて行く事こそが、多様性だと思うんです。見えない人には、見えない人のつらさがあるし、歩くことができない人にはそういう苦労があるし、それをみんなで考えて、どうやったらみんなが暮らしやすいかを考え、差別や偏見をなくすと言う事こそが、多様性なんだと思います。

なんだか、ちょっと何を言っているんだと言う内容になってしまいました。でも、今悩みを抱えている人が、追い詰められない社会になってほしいなと思います。