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学童県大会4回戦。
…息子の悔し泣きを見ました。


ランナーが3塁まで出塁するも…あと一本が出ず…完敗でした。

1ー2負



帰りの車の中で…監督である旦那と試合のことを振り返りました。


ノーアウト1、2塁のチャンスに。

3番の息子が打席へ。
ここは送りバント、、をせず、
ヒッティングでした。

結果、センターフライに倒れ1アウト。
(ランナー動かず)



次の4番打者。
サードへの強いあたりを相手に処理され、
すぐ近くの3塁ベースを踏み、ファーストへ送球。

この三塁手の見事なファインプレーで、
ダブルプレー。
3アウトチェンジ。



この6回の最大のチャンスを逃し、尚且つ、流れを一気に持っていかれました。


ここが勝敗の決め手となったのかもしれません。



旦那は、前々から言っていました。
どんなバッターだろうが、ノーアウト1、2塁、もしくはノーアウト2塁は、必ず送りバントをさせると。
あんなに言ってたのに、なにをやってるんだと、私は思いました。


きっと息子を信じたかったのでしょう。
ここで、やってくれるんじゃないか。と…


でも、すべては結果論。
なにが正しかったかなんて…



『バントさせきれんやった』


旦那のその言葉で、
18年前の自分自身のソフトボールの試合を思い出しました。

もう何十年も前のことだけど、
私は高校1年から3年まで、3番という打順をもらってきました。
34年続けられた監督が退職され、
次に引継ぎされてから新監督との初練習試合。
福岡との対戦を、前監督がベンチ横で見られていました。

ノーアウト1、2塁。

私に与えられた新監督からのサインは送りバント。

結局失敗してしまい、ランナーを送ることができませんでした。
その試合はボロボロに負け、前監督から激が飛びました。

『なぜバントをしようとした?』

『バントのサインでした。』

『お前にバントのサインなんてない!何をやってるんだ!』

再び、前監督の采配で練習試合が行われることになりました。

その再試合は、大差で勝ちました。

同じ場面、私は打ちました。
今では考えられないけど当時私は5割バッターで、ランナーが出れば必ずランナーを返せていました。
それは、チームの勝利のために、毎日毎日、努力した結果でした。
その努力に繋がったのは、1年生で入ったすぐに、1ストライク 1ボールのカウントで、代打!と出させてもらったとき、2球見逃して三振したことが引金でした。

とにかく悔しかった。


1チャンスを絶対に逃したくない!

私が出る代わりに出れない3年生のためにも、

私が出ることで、上級生の父兄さんが不満に思われないためにも、

1年生から試合に出る娘を心苦しく見てる親のためにもっ!


100パーセントの確率で、必ず打つ!
 という目標をその日決意し、必死に続けてきました。






悔いのない試合…?負けてそんな試合はないと思う。
負けたら悔いは残るんだよ。
まだまだ、練習が足りなかった。
努力が足りなかった。

息子にはそう思ってほしい。



必死にやってきた体験があったからこそ…
息子には厳しかったかもしれませんが、

よく頑張ったね。
という慰めの言葉ではなく、

相手が一枚上手だったね。
という、限界を認めた言葉でもなく、



『悔しかったら上手くなれ。』



私はそう言いました。

まだまだ小学生。
学童大会は6年生にとって最後の試合かもしれないけど…。
野球人生まだまだ、スタートしたばかり。




旦那はコーチを経て監督になってからも、
毎日毎日、暑い日も寒い日も、ノックで手に豆ができ潰れようが…
子供たちに打たせるために、投げて投げて肘を壊そうが、どんなに身体が痛くなろうが…
子供たちと一緒に頑張っています。

父兄さんに…
『自分のせいで勝たせてあげれなくて、すみません。』
それが精一杯の言葉だったようです。
そして、
息子を含め、6年生最後の大会が終わりました。



監督になって半年。
旦那も子供たちから成長させてもらっているようです。



厳しいこと悔しいこと苦しいこと嫌なこと…乗り越えて乗り越えて、子供たちが笑って野球が楽しいと、心から思えるように。

私も母親として、しっかり支えていきたいと思います。
二度と戻らない今を大切に。





親子ともに、
悔し泣きではなく…

いつか嬉し泣きできますように。

がんばれ。

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H29.6.4  ーmayumiー