私はすごく
引っ込み思案でした。

そう...家では
とんでもなくヤンチャな
うちべんけい。

学校に行くと話せない。

授業の内容分かってるのに
挙手が出来ない。

一言も声を出すことなく
学校から帰ったことがあった。

小学3年の時の美術の時
変な絵を書いた。

空が血のように赤く塗られ
黒い太陽...地面や家も黒い。

担任は心配して
母親に自宅での様子を聞くも
分からない...いつもと変わりないと。

私も...よく分からないけど
寝れなかった。

小3なのに
寝る時間が明け方4時。
なかなか寝付けなくてね。

学校に行くの辛かった。
いま、思えば、あの時期から
なんかしらあったかもしれない。

バドミントンのクラブに入った。
あと、競技かるた。

土曜日はバドミントン。
水曜日はかるたの日。

めちゃイケがみたい。
水曜日は所さんのダーツがみたい。

ずるばっかこいてた。

のんちゃんと
ダブルス組みたくない。
のんちゃんと
ペア組むと負けるから嫌。

負けたらあかんのか?
かるたごとき、バドミントンごときで
どうしても勝たなあかんの?

わざと、手抜いてやってた。

中学は卓球部。
卓球は好きだった。

先輩にも恵まれたし
強くなりかけたが...

勉強が分からない。

中1の数学って
そんな難しくないよね?

数字が暗号に見え始めた。

中学1年2学期末テスト。
五教科総合、460点でした。

1学年300人いて
それで、真ん中より下。

絶望でした。

進学校目指して
なりたいものがあったんです。

どんだけ
みんな脳筋バカなの??

段々、下がって行って
三学期には380点。

もう
なんかしらの理由がなければ
学校やすめない。

ちょっとした仮病のつもりが
入院させられた。

入院生活は極楽浄土でした。
大量の宿題ない。
同級生と競争しなくていい。

だけど、そこの主治医が
小児科転院をすすめた。

そこの病院に併設されている
養護学校に通いなさいと。

小児科病棟の一角に
ありました。

色んな子がいました。
一言で言えば...衝撃を受けましたね。

背が伸びないのか赤ちゃんみたいに
ちっちゃい女の子が同級生に2人。

とにかく、瞬きがすごくて
かたすくめがすごい
落ち着きないチックの子と
小児ガンの子と膠原病の子。

私は、てんかんと起立性低血圧。

そこの
小児科病棟に入院してから
非行に走りまくりました。

深夜徘徊だの
行くなと言われてる屋上に行ったり
窓からガムを投げつけたり。

小さい子からは
お姉ちゃんと慕われましたが
医師看護師保護者からは関わるなと
嫌がられました。

元の在籍していた
中学の同級生からビデオレターや
寄せ書きをもらった。

退院してからも
養護学校に通うことを決めた私は
同級生から帰ってきてと
家まで来て言われた。

花見だとか、給食だとか
卒業写真撮影だとか、送る会だとか。

全部、行かなかった。

卒業写真は別撮り。

同級生の事なんかどうでもよかった。

卒業式の2日前に籍を戻して
元の学校で卒業式をした。

ぐーっと
こみあげるものがあったな。

あーもっと
学校行っときゃ良かった。
同級生と勉強しときゃ良かった。
もう、したくてもできないんだ。

あんなに
成績にこだわってたのも

皆と同じ
高校に行きたかったからなんや。

そう...思ったら。

しばらく卒業しても
みんなのことばかり考えてた。
集まってたしさ。

それも、高校卒業と同時に
なくなって...

5年前、花見していたら
中学3年間受け持って下さった
男性の担任に会いました。

『のんちゃん、結婚おめでとう。
大人になって綺麗になったよ。』

嬉しかった。

また、みんなに会いたい。