楽器を演奏する、あるいは歌を唄う際に、最も重要視すべきことは、リズムです。

実際に私も楽器を演奏する身で、100%の安定を得られているとはとても言い難いですが、リズムは何よりも大切にするよう心がけています。

この記事では、「適切な音」を得るための知識としての音楽理論を紹介してきましたが、その適切な音も、リズムが乱れていると、音楽にならないのです。

例えば、楽器奏者がアドリブのための知識を学んで、それを実践しようとすると、どうしても「正しい音」を選ぶことに神経が集中してしまい、リズムが疎かになりがちなのです。

どんなに理論的に正しい、または音楽的に優れた音を使っていても、リズムが悪いと、いい音楽には聴こえません。

極端な二者択一ですが、

・100%正確な音が使われているが、リズムが不安定
・ミストーンはあるが、リズムは安定している

このどちらがより音楽的であるか(どちらを優先して求めるべきか)といえば、後者です。

当然、音楽ジャンルやスタイルによって事情は多少変わりますが、正確な音を出すことよりも、正確なリズムを生むことの方が、より重要度は高いのです。

楽器のアドリブ演奏に限らず、歌でも同じです。

一流のシンガーやプレイヤーは皆、最低限の音感、知識とともに、卓越したリズム感を備えているものですが、実はこの点が、アマチュアとプロとの顕著な違いのようにも思えます。

打楽器奏者やベース奏者などいわゆる「リズム隊」と呼ばれるプレイヤーだけでなく、音楽家である以上、ピアニストにもギタリストにもシンガーにも、例外なく安定したリズムは求められます。

「グルーヴ」や「スウィング」、「タメる」、「ツッコむ」といった、やや曖昧なリズム概念も、それをうまく表現するためには、根本としてリズム感が必要なのです。

安定的なリズムを得るためには、やはりメトロノームなどを使ったリズムトレーニングは必須です。

ただ、そればかりではなく、実は「音楽理論」の習得も、最終的にはリズムの安定に寄与します。

リズムが重要であると認識していながらも、そのリズムに注力するだけの余裕がなければ、いいリズムを生むことは出来ません。

リズムに十分な神経を注げていないということは、それだけ「音」の方にとらわれているということです。

譜面から目を離せない状態が、その象徴的なシチュエーションと言えるでしょう。

そうであるならば、「適切な音選び」を楽にする道を考えればよいわけですが、それを実現させるものが、楽典や音楽理論です。

読譜力や音楽理論の知識は、「適切な音選び」における迷いを軽減します。

「音」の(必要以上の)呪縛から逃れ、余裕が出来た状態です。

その余力をどこに向けるかと言えば、リズムです。

リズムに注力できるだけの余力をどれだけ作れるかという観点からも、「知識」は必要なのです。

理想はもちろん、安定したリズムで正しい音を出すことです。

しかし、神経を向ける割合としては、リズムにより比重をかけるべきであり、「音」にかける力を最小限にとどめ、残りの力を「リズム」に充てる、という思考が、音楽には求められると私は考えています。

そして、リズムの安定こそが、実は音楽で最も難しいことであると、日々痛感しています。


ペタしてね