2005年春、悪性脳腫瘍が判明した母。

(グレード3から、グレード4の膠芽腫へ転化)

 

余命3年以内と言われながらも、18年間戦った母の、奇跡の記録です。2023年他界。

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2009年6月末

 

お昼を過ぎ、代わる代わる、

コンビニの傍の談話室で、

食事をとりました。

 

兄と一緒でしたが、

その時何を買ったのか

何を食べたのか、

全く思い出せません。

 

とにかく食欲が無く、

砂を食べているようだった

記憶だけがあります。

 

 

食後すぐに家族の待機室に戻り、

 

長い時間待ちました。

 

 

途中、何度も手術室へ続く

廊下の角まで行って様子を見て、

また戻るを繰り返していました。

 

 

叔父叔母が話す、

何気ない会話が救いでした。

 

やがて、窓から夕陽の光が

差し込む時間になりました。

 

 

焦る気持ちが頂点になり、

 

「大丈夫かな、何かあったのかな。」

 

と呟くと、叔母達が、

 

 

「手術は、短時間の方が心配なのよ」

 

「そうそう!大丈夫!」

 

と背中をさすってくれました。

 

 

おおよその終了時間を、

とうに過ぎていました。

 

やがて、外は真っ暗にショボーン

 

 

手術室に運ばれてから、

10時間ほど経った頃、

 

看護師さんが待機室にいらっしゃって、

 

「無事に終わりましたよ。」

 

と穏やかに仰いました。

 

 

・・・良かったおねがい

 

「お母様は麻酔から覚めていますので、

まずは、息子さんと娘さんだけ、

お入り頂きます。こちらへどうぞ。」

 

 

はやる気持ちを落ち着けながら、

看護師さんの後に続きました。

 

 

HCUの一番奥の部屋に、

母はいました。

 

たくさんのチューブに繋がれた姿は

とても痛々しくて切なくなりました。

 

 

「お母さん、お疲れ様。」

 

と声を掛けたら、2回頷きました。

 

 

ちゃんと意識ある!良かった!

 

 

でもその直後、吐き気が襲ったようで、

少し吐き戻してしまいました。

 

 

看護師さんが、

「大丈夫ですよー、綺麗にしましょうね」

 

と、ササっと処理して下さりました。

 

 

その後、叔父・叔母も面会に。

 

「お疲れ様、大変だったね」

「まずは一山超えてよかった」

 

と、次々に声を掛けていました。

 

 

僅かな面会時間の後、

 

「主治医から説明がありますので、

こちらへどうぞ。」

 

と、説明のための個室に案内されました。