2005年春、悪性脳腫瘍が判明した母。

(グレード3から、グレード4の膠芽腫へ転化)

 

余命3年以内と言われながらも、18年間戦った母の、奇跡の記録です。2023年他界。

 

イベントバナー

 

手術の日の後編を記事にする前に、

昨日、大泣きした記事があったので、

リブログさせて頂きます。

 

 

リハビリ病院のスタッフの方の言葉、

 

脳のご病気ですからね。

ご自身なりに、

ご自身の世界を

過ごしていらっしゃいますよ。

 

この言葉に胸を打たれました。

 

 

母の脳腫瘍の記事は、

過去の記録を見て思い出しながら

書き進めているのですが、

 

じゃすみんさんの記事を読んで、

 

溢れてきた気持ちを

書き残したくなりました。

 

 

母は、病気が進んできた2022年末頃、

 

 

不思議な声を出したり、

 

怒りっぽくなった時期がありました。

 

 

元気な頃の母を知っているからこそ、

 

理解できない言動に絶望して、

 

何度も何度も泣きました。

 

しっかりしてよ、お母さん!と、

 

母に冷たい態度を取った事もありました。

 

 

母の想いを分かってあげられなくて、

 

 

何度も何度も泣きました。

 

 

ケアマネさんも、

 

病院スタッフの方々も、

 

デイサービス・ショートステイの

スタッフの皆さんも、

 

本当に良い方ばかりで、

 

いつも優しい言葉で支えて頂いたので、

 

今でも感謝で一杯です。

 

 

でも、私の心の中はいつも、

 

どうしようも無い想いでいっぱいでした。

 

 

脳の病気は残酷だと、悲しんでいました。

 

 

もし、あの頃。

 

 

こんな素敵な言葉を聞けていたなら、

 

どれだけ救われたかわかりません。

 

 

 

母は、子どもに戻ったかのように、

 

 

私と目が合うと、よく、

 

にっこりと笑ってくれました。

 

 

辛そうな表情の記憶はあまり無くて、

 

 

話が出来なくなってからも、

 

私や孫たちの顔を見ると、

 

本当によく笑っていました。

 

 

時には、微笑みながら涙を一筋流す事も・・・

 

 

書きながら、今も涙が溢れてきます。

 

 

母なりに、母の世界を

過ごしていたんですよね。

 

 

時を超えて癒されたような気がします。

 

 

 

 

そして、記事の最後。

 

じゃすみんさんの旦那様が、

 

お父様に向けた渾身のメッセージに

 

涙が止まりませんでした。

 

 

優しい心はそのままずっと、

 

在り続けるんだなぁ、と。

 

 

 

じゃすみんさん、

 

素敵な記事をありがとうございます!