2005年春、悪性脳腫瘍(グレード3から、後にグレード4の膠芽腫へ転化)が判明した母。

余命3年以内と言われながらも、18年間戦った母の、奇跡の日々の記録です。

 

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翌週は、検査のために病院へ。

私も休みを取って母に付き添いました。

 

・血液一般

・脳波の検査

 

脳波の検査は、眠った状態で行います。

ただでさえも不眠気味で、

それに加えて、緊張で眠れるはずも無くショボーン

眠剤を使って眠りました。

 

 

次の週、検査結果を聞きに行きました。

 

結果、脳波に異常が見られます、

との事でした。

てんかんがある人特有の波形が、

頻繁に出現していると。

 

このまま無治療でいると、

急に倒れる可能性があるとの事で、

抗痙攣薬が処方されました。

 

「エグセグラン錠」です。

脳の神経の過剰な興奮をおさえ、

てんかん発作を抑える薬です。

 

ところが、

 

帰宅後すぐに服用したところ、

 

30分ほどで細かい発疹が

体全体に出てきました。

 

 

病院に連絡すると、

 

薬疹の可能性が高いので、

病院に戻り受診する事にダウン

 

 

結果、やはり薬疹でした。

 

 

別の抗痙攣薬に変える事になり、

次の薬は、「デパケン錠」といい、

ゆっくりと溶けて吸収されていく薬です。

 

これは母に合っていたようで、

問題無く服用できました。

 

200㎎の錠剤は大きくて飲みにくいので、

100㎎に変更して頂きました。

1回2錠を、朝と晩に服用していました。

 

 

手術は5月下旬の予定に決まりました。

 

ただ、腫瘍は浸潤しながら広がっており、

腫瘍と正常な脳の境界があいまいで、

大きく切るとQRLが著しく低下する事から、

組織を採るための手術になる、

という説明を受けました。

 

 

 

そして、2005年4月中旬の事。

 

薬を飲むのにも慣れ、

少しずつ病気を受け入れて、

頑張ろうという気持ちが芽生えた矢先、

母はついに、てんかん発作を起こし

倒れてしまったのです。

 

 

母と一緒に夕飯の支度をしていた時の事です。

 

洗い物をしていた私の背後で、

 

「ドン」

と音がしました。

 

振り向くと母が倒れていました。

 

目を見開き、

 

「うう・・うーーん・・・」

とうめき声をあげて、

口をもぐもぐさせ、

ガクガクと頭が揺れていました。

 

それを見た私は、

ショックと緊張で震えましたが、

 

落ち着け私!と心の中で唱え、

母に向き合いました。

 

すぐに時計を見て、

時間を計り始めました。

 

証明を薄暗くし、

顔を横に向けました。

(吐いた時に気管に入らないように)

 

 

口にハンカチを入れたり、

何かを噛ませたりしない

 

激しく揺すったり、

大声で呼んだりしない。

 

これは、事前に主治医のN先生から

教わっていた対応です。

 

 

てんかんを起こしていた時間は、

1分にも満たないものでしたが、

ものすごく長く感じましたえーん

 

やがてゆっくりと意識が戻り、

 

「急に何が何だか分からなくなった」

と呟き、ポロリと涙をこぼし、

 

「怖い」

と言いました。

 

 

不幸中の幸いで、

どこにも怪我する事無く、

痣も出来ませんでした。

 

 

翌日、病院に電話をしました。

 

てんかん発作の詳細を伝えると、

 

もしまた発作が起きたらどうするか、

二つのアドバイスがありました。

 

・前と同じ対応で良い。

・発作の時間が長い、もしくは、

治まっても何度も発作を繰り返す場合は、

重責発作に繋がる恐れがあるので、

救急車を呼ぶ。

 

 

 

その後は、倒れるほどの大きな発作は

起こりませんでしたが、

 

急に意識が遠のきボーッとしたり、

1点を見つめて呼びかけに応じない、

という小さな発作は時々起こりました。

 

 

ところが、ある時期を境に、

全く発作が起こらなくなりました。

 

 

今でも信じがたいのですが・・・

 

 

脳腫瘍が、

少しずつ小さくなっていくという、

先生も首を傾げるような経過を

辿る事になったのです。