ご訪問頂きありがとうございます。

現在中2の息子、ソウ。小4から受験勉強し憧れの中学に入学したものの、中1の初夏から五月雨登校が始まり、秋から不登校になりました。完全不登校期間2か月。現在は復学し継続登校中です。

 

※五月雨登校の頃の回顧録です。

 

 

「明日は行く」

 

と聞くと、

 

親は期待してしまいます。

 

 

何か気力が上がる良い事・・・

 

例えばゲームで勝ったとか

 

友達と遊んで楽しかったとか

 

表情が良く、

イキイキした様子に、

 

明日は行けるのではないか。

と期待していました。

 

でも、関係無いんですよね。

 

行けない時は行けないダウン

 

起きて来ない。

 

逆に、前日に沈んでいても、

翌朝サーっと準備して

登校した事も数知れず。

 

前日の状況は全く無関係でした。

 

一時的に気力が上がっても。

 

生まれてから十数年。

我が子の性質に合わない対応で

子育てしてきてしまった事により、

動けなくなっていたのですから。

 

 

息子の継続登校が安定した頃。

 

ようやく気付いたんです目

 

 

子どもに私の意識が向いていない時は、

自ら動いていた事にびっくりマーク

 

サッと準備して登校した前日や、

その当日の朝は、私は、

本人以外の子供の事だったり、

その他いろいろ忙しく、

眼中に無かったんです。

 

当時、本人は、

 

「自分でも分からないんだけど、

急に学校に行こうと思う日がある」

 

と言っていました。

 

今になって思います。

 

過保護・過干渉・心配は、

敏感で繊細な息子には

強烈な毒だったんだとドクロ

 

「もう朝だよ、起きてね」

「ご飯できてるから食べて」

「体調はどう?」

 

あーあ・・・

やってしまってたな。

 

また、息子の動きを気にして、

目で追ったり、

時計を気にして、

 

「もう〇時だよ、そろそろ出ないと」

「今日は雨の予報だって」

とかねぇチーン

 

対応を学び始めた頃は、

無理して黙っていました。

何なら、口が滑った事もありました。

 

でも、今はこれらの言葉は出ません。

続けていれば習慣になります。

 

本人に任せる。信じて見守る。

(見守り方があります)

 

すると、子供が変わってきます。

毎日気付きがあります。

 

そうすると、

私の思考が変わっていくんです。

 

気が付けば、

子供に向き合っているのではなく、

自分に向き合う月日でしたニコニコ

 

 

そして、今。

新たな段階に進んでいこうと、

勉強を始めました。

 

私自身の心と向き合うこと。

 

なぜ、心配性なのか。

そこを紐解く学びです。