この作品について、もう一度見てみたいと思います。

 この中で、えん罪で投獄されている時、父親は「いつか、解放される。いつかわかってもらえる。」
と、再審請求を出し続ける。外に向かって「無罪」を「えん罪」を主張し続ける。
 一緒にいる息子は、あきらめ、「自暴自棄」になっている時ですらも。

 たゆまない調査を続けてくれていた、弁護士にも、当初は不信をあらわにしている。

 そんななか、真犯人が現れ、「私が真犯人だ。彼らは無罪だ。」と、告白するのだが、
それは、当局により黙殺される。結局は、解放されることにはならない。
 ふとしたことから、くだんの弁護士が「決定的な証拠」それは、隠されていた(握りつぶされていた)
ことを、見つけ出す。
 それが、それが提示された時、裁判所は、文字通り「ひっくり返る」かのような状態になるのでした。
憎悪を一身に受けるべく立てられた、「スケープゴート」の彼らが、「えん罪」を公式に認められ、
「すべてについて無罪」「全員が無罪」になったのだから。

 ここで、彼らは、「我々は、堂々と正面から出る!」と、正面から出てくる場面は「感動もの」だと思う。

 父親・・・・題名には実は、人間としての父。もそうだが、「天にましますわれらの父よ!」の「父」
が、込められている。という。