まずは以下を。
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岡山:ちょっと大きな話になってしまうのですが、教育の目的が個人の人間性を育むためのものなのか、社会全体の経済合理性のためのものなのかっていうところに根っこがある気がしていて。社会に必要な役割ありきで、それを担うパーツを育てるみたいな考え方って、無理が出てくると思うんです。
例えば、「これからの時代はデータサイエンティストが必要になるから、そのための素養を持った人材を育てよう」みたいな。考え方としては分かるんですけど、一人ひとりの個性はどこ行った?って思っちゃって。
西本:めちゃくちゃ分かりますね。この前うちに留学相談に来た大学生が、うまい喩えしてましたよ。日本で教育受けてると、家畜として育てられてるみたいな気分になるって。小学校の頃からエサ与えられるように決まったことを勉強させられて、中学・高校と大きくなって、大学生になったら就職市場で競りがかかるのを待って……。決まったレールの上をツッーて流れているイメージだと言ってましたね。
岡山:私も大学生のころ、「これは動く歩道だ!」って思ってました。自分から何にも選ばなくても、成り行き任せでいろいろ決まっていっちゃうぞって。理系だったので、研究室入って、大学院に行って、修士の後は博士過程に進むか教授推薦の企業に入るしかない。
---以下のブログより
https://eslclub.jp/blog/interview-nishimoto-2/
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これを読んだ時、なんだかすっと色々理解した笑。社会に出てパーツとして選ばれる人になるより、その時代に必要とされることを提案、提供出来る人になる。それが教育なのかな。
だからやっぱりこなつには、弱みをつぶすのではなくて、強みを伸ばして個性的に育ってほしい。