『ROOM 237』(2012)

監督:ロドニー・アッシャー

出演:ビル・ブレイクモア、ジェフリー・コクス、ジュリ・カーンズ

 

第一回目の投稿は、スタンリー・キューブリック監督の代表作にしてホラー映画の最高傑作ともいわれる『シャイニング』を、出演者がそれぞれの立場で分析したドキュメンタリー、『ROOM 237』です。

 

正直に言えば、ファンが好き勝手言ってるだけ。キューブリックの映画には様々な仕掛けや隠れたヒントがあるのは事実かもしれないが、キューブリック本人は分析されることを昔から嫌がっていたのも事実だ。私はキューブリックマニアでもなんでもないのでわからないが、キューブリックは芸術家として、「そこにあるものを、そのまま」みてほしいという考えのような気がする。「Don't think, feel!」というやつだろうか?(もちろんこれはキューブリックの言葉ではない)

 

しかし、優れた芸術作品というものは常に鑑賞するものの思考欲を刺激する。『シャイニング』もそんな作品の一つだ。この映画で展開されるファンたちの「持論」は、こじつけとしか思えないものも多々あるし、論理展開が飛躍しているものも多くある。でも、私個人としてはマニアたちの白熱した論理合戦を楽しんで観てしまった。キューブリックファンに叩かれるのも納得だし、もしキューブリック本人が観たら激怒していただろう、とは思うが、好き勝手に思考を巡らせることは楽しいし、その余地がある作品であるということが芸術として価値のある作品だ、ということにはならないだろうか?

 

そもそも、「文化研究」や「表象研究」と呼ばれる、文学や社会学の世界でよく行われる研究の本質は、「マニアの持論」なのではないか? ある文学作品や絵画などを研究する際、作者の生い立ちやその時代のバックグラウンド、作品ができた時の社会情勢などを含め、その作品の中に「ヒント」を見出し、それが歴史的だったり文学的だったり社会学的にどういった意味合いを持つのか、というのが文化研究の基礎だが、それはこの映画が行っていることと同じだ。もちろん、歴史の深い作品になればなるほど研究は進み、方向性が定まってきて突拍子もない論理が飛び出してくることはなくなってくるだろう。しかし、そもそも学問が、貴族や富裕層の遊びであったことも考えると、結局研究とは、その分野が好きで熱意を持つ人たちが、あれやこれやと考えながら持論を展開していくことなのだ。つまりこの映画は、映画『シャイニング』とキューブリックが好きで好きでたまらないひとたちが、それぞれのソースや考えに基づいて研究してみました、という映画なのだ。

 

私はこの作品を観て二つのことを思った、一つは、100年後、500年後、『シャイニング』及びキューブリック作品が芸術の古典となったときに、『ROOM 237』は立派な研究資料の一つになるであろうこと。二つ目は、文化研究とは明確な答えのない研究であるがゆえ、その魅力にとりつかれた者はそこから抜け出せないということだ。しかし、彼らはホテルから去るどころか、チェックアウトする気もない。思考の無間ループにはまりつつ、それを楽しんでいる。これが文化研究の本質であり魅力なのではないか。