オレの母は、接頭辞に「くそ」とつけてすら、
親族一同から苦情すらでないほど、およそ窮屈で真面目な女性だ。
母から、冗談というものを聞いた記憶がない。
妹も、このブログを読んでると思うが、
「おふくろって、冗談いったことあるか?」
あったら、教えてくれ。
それだけに、ほんと厳しくて、
たかが子供のイタズラのあげく、押し入れに閉じ込められ、
それでも懲りなければ、冬の屋外へ放り出され、
挙句の果ては、庭の柿の木に縛り付けれらた。
昭和40年代といえば、「人さらい」とかいう、
なんだか恐ろしげな、大人の脅し文句がリアリティを持っていて、
オレは子供心に恐かった。
アホな妹は、
世情というものを知らないから、
兄弟喧嘩のあげく、二人で寒空に放り出されても、
「お兄ちゃん、どこかへ遊びにいこうよ!」と、まるで能天気だ。
馬鹿!
こんな日暮れて、子供だけで遊んでたら、
それこそ、「人さらい」のいい餌食じゃないないか!
オレは玄関の前で、「ごめんなさい、ごめんなさい」と、
ただ泣きじゃくっていた。
いまでも記憶として鮮明に残っている。
見かねた、隣家の新村さんがやってきて、
「もう、許してあげたらいいでしょう」と助けてくれ、
その一言に、どれだけ救われたことか。
確かに、馬鹿みたいに泣きじゃくる姿を見られていることに、
恥ずかしさも覚えたが、
それ以上に、「人さらい」から逃れられた安堵のほうが大きかった。
高校のある時期まで、オレは母に縛り付けられていた。
よく、マザコンとう言葉があるが、
オレには、その心情がまったく理解できない。
母は優しかった。必要以上にオレを愛してくれた、
それは、44歳となったいまでもそうなのだろう。
「ほっとけ」と思うような心配をいってくる。
オレも父となって19年。
子を持つ親の気持ちが、わかるちゃわかる。
それでも、母に対しての態度はそっけない。
あの母にして、この子(オレ)。
ほんと、オレと真逆の性格だよ。
なんで、こんな性格になったんだろう。
確かに、父は酔っちゃ夢ばかり語るような人だったし、
それを母が、
「お父さんは、酔っぱらってるから」と窘める。
あれは中三のときだった、高校受験を控えていた。
大好きだったミュージシャンのコンサートが、足利市民会館であって、
お小遣いでチケットを手に入れた、
ところがだ!
母が、そのコンサートへ行くことに異を唱えた。
夜遊びってほどのもんじゃないし、
たかが、往復4時間もあれば、自由になる時間だ。
それすら許されなかった。
母と大喧嘩になって、オレは彼女を投げ飛ばしていた。
「あれっ?」って感じで、巴投げw
体格では、いつしか母に勝っていた。
母が結婚記念で持ち込んだらしい、
フランス人形だかなんだかの、ガラスケースをぶち壊し、
オレは暴れまくって、
さすがに母が折れ、オレはそのコンサートにいくことはできた。
オレは、母の願ったような生き方をしてないよね。
ずっと心配ばかりかけてる。
まあ、しょうがない。
それが今、今のすべてなんだから。
そんなことが書きたかったわけじゃないんだ。
そんな母の束縛から逃れられた、
高校時代の大切の出会いについて、書きたかったんだよ。
その前段として、この話しは必要なんだ。
まあ、語りたがりなオレの独り言なんだけどさ。
友達に話すように、このブログを書いてるんで、
書くべきことを思いついて、書き始めてみれば、横道にそれることなんて多々あるわけで、
友人との会話なんて、そんなもんじゃない?
いま、14歳からの自分を焼き直してる。
こんな気分になれるんだって新鮮な気分で、
大切だったことのひとつひとつに、印をつけたいと…。
明日が、いつまであるかわからんじゃないか。
親族一同から苦情すらでないほど、およそ窮屈で真面目な女性だ。
母から、冗談というものを聞いた記憶がない。
妹も、このブログを読んでると思うが、
「おふくろって、冗談いったことあるか?」
あったら、教えてくれ。
それだけに、ほんと厳しくて、
たかが子供のイタズラのあげく、押し入れに閉じ込められ、
それでも懲りなければ、冬の屋外へ放り出され、
挙句の果ては、庭の柿の木に縛り付けれらた。
昭和40年代といえば、「人さらい」とかいう、
なんだか恐ろしげな、大人の脅し文句がリアリティを持っていて、
オレは子供心に恐かった。
アホな妹は、
世情というものを知らないから、
兄弟喧嘩のあげく、二人で寒空に放り出されても、
「お兄ちゃん、どこかへ遊びにいこうよ!」と、まるで能天気だ。
馬鹿!
こんな日暮れて、子供だけで遊んでたら、
それこそ、「人さらい」のいい餌食じゃないないか!
オレは玄関の前で、「ごめんなさい、ごめんなさい」と、
ただ泣きじゃくっていた。
いまでも記憶として鮮明に残っている。
見かねた、隣家の新村さんがやってきて、
「もう、許してあげたらいいでしょう」と助けてくれ、
その一言に、どれだけ救われたことか。
確かに、馬鹿みたいに泣きじゃくる姿を見られていることに、
恥ずかしさも覚えたが、
それ以上に、「人さらい」から逃れられた安堵のほうが大きかった。
高校のある時期まで、オレは母に縛り付けられていた。
よく、マザコンとう言葉があるが、
オレには、その心情がまったく理解できない。
母は優しかった。必要以上にオレを愛してくれた、
それは、44歳となったいまでもそうなのだろう。
「ほっとけ」と思うような心配をいってくる。
オレも父となって19年。
子を持つ親の気持ちが、わかるちゃわかる。
それでも、母に対しての態度はそっけない。
あの母にして、この子(オレ)。
ほんと、オレと真逆の性格だよ。
なんで、こんな性格になったんだろう。
確かに、父は酔っちゃ夢ばかり語るような人だったし、
それを母が、
「お父さんは、酔っぱらってるから」と窘める。
あれは中三のときだった、高校受験を控えていた。
大好きだったミュージシャンのコンサートが、足利市民会館であって、
お小遣いでチケットを手に入れた、
ところがだ!
母が、そのコンサートへ行くことに異を唱えた。
夜遊びってほどのもんじゃないし、
たかが、往復4時間もあれば、自由になる時間だ。
それすら許されなかった。
母と大喧嘩になって、オレは彼女を投げ飛ばしていた。
「あれっ?」って感じで、巴投げw
体格では、いつしか母に勝っていた。
母が結婚記念で持ち込んだらしい、
フランス人形だかなんだかの、ガラスケースをぶち壊し、
オレは暴れまくって、
さすがに母が折れ、オレはそのコンサートにいくことはできた。
オレは、母の願ったような生き方をしてないよね。
ずっと心配ばかりかけてる。
まあ、しょうがない。
それが今、今のすべてなんだから。
そんなことが書きたかったわけじゃないんだ。
そんな母の束縛から逃れられた、
高校時代の大切の出会いについて、書きたかったんだよ。
その前段として、この話しは必要なんだ。
まあ、語りたがりなオレの独り言なんだけどさ。
友達に話すように、このブログを書いてるんで、
書くべきことを思いついて、書き始めてみれば、横道にそれることなんて多々あるわけで、
友人との会話なんて、そんなもんじゃない?
いま、14歳からの自分を焼き直してる。
こんな気分になれるんだって新鮮な気分で、
大切だったことのひとつひとつに、印をつけたいと…。
明日が、いつまであるかわからんじゃないか。