No.58 世田谷区役所と区民会館:制作2018年5月、銅板18㎝×48㎝

   先のブログNo.57では、2枚の絵が上下になっていました。続絵になるように編集したものをNo.58に更新しました。スマホでは絵は上下のままで、修整するには絵がさらに小さくなってしまうことがわかりましたので、ご面倒でもPCにてご覧いただければ幸いです。以下の本文は再録です。

   世田谷区役所は、東急世田谷線の「松陰神社前駅」または「世田谷駅」から徒歩5分のところに位置し、北側に国士舘大学がある。同区役所は、第1庁舎から第3庁舎、そして分庁舎により構成され、その一角に区民会館が立つ。

 今回の作品は、そのうちの第1庁舎(左)と区民会館(右)を見たもので、ともに前川國男(1905~86)の設計になり、それぞれ昭和36(1961)年と昭和34(1959)年に竣工した。前川は、20世紀における建築界の巨匠ル・コルビュジエ(1887~1965)に師事し、我が国の近代建築に大きな足跡を残した。

 双方の建物とも鉄筋コンクリート造の打放しであり、柱間いっぱいに窓を設けた区役所に対して、区民会館の主要部は無窓の折板(セツバン)構造を用いて建てられた。折板とは、折り曲げた板状の構造体により建物の剛性を確保する工法で、内部に1200席を収容するコンサートホールがあった。

 画面中央に、1階を吹放ちにした棟が見える。これをピロティと呼び、ル・コルビュジエが提唱し、彼自身多くの建築物に用いた。前川は、このピロティを、区役所と区民会館に至るそれぞれの導入部とすることで両者を機能的、視覚的に繋げるとともに、ここを通り抜けて自由に広場に出入りできるようにした。

 ピロティならびに区民会館内では催し物が随時行われ、広場では、ベンチで憩う人、立ち話をしている人など、常に賑わいを見せていた。得てして役所に付随する空地は、その利便性から駐車場になることが多いが、ここは竣工以来駐車場化することなく、人々が行き交う広場としての本来の役割を果たし続けた。

 現在、世田谷区役所の各庁舎の解体工事が進められ、令和9(2027)年度に新庁舎に生まれ変わるが、この特徴的な外観をもつ区民会館は改修後に保存活用される予定である。

 今回の作品は、建物と広場との関係を捉えるために、2枚1組の続絵(ツヅキエ)として制作した。