No.52 長屋門(世田谷区):制作2016年9月、銅板24㎝×18㎝

  

   東急田園都市線の駒沢大学駅で下車して南に歩を進めると、駒沢オリンピック公園が広がっている。その南側の街区(深沢)に、当地の旧家(農家)であった三田家の屋敷跡がある。同家の主屋は失われたが、土蔵と長屋門が残る。長屋門とは、門の両側に部屋を設け、そこに大きな一つ屋根を架けたもので、江戸時代の武家屋敷の表門によく見られるほか、名主(庄屋)の家の門として造られた。

   三田家長屋門の建築年は、明治40(1907)年頃と伝えられる。桟瓦葺きの寄棟造りで、桁行(間口)は約11.6m、梁間(奥行)は約4.6mである。

   本作品の建物中央の後退した箇所が入り口で、そこに観音開きの板戸を設け、その脇に潜り戸を付ける。入り口両側の壁の下部を押縁下見板で、その上を白漆喰で仕上げる。長屋門の内部は2層で、上は納屋、下は物置として使用していた。

   見所は軒裏である。外壁の上部に一定間隔で突出した部材があり、これを腕木(ウデギ)と言う。腕木の先に長い桁を渡し、各腕木と桁の間に板を張る。このような軒の出し方を船枻(セガイ)造りと呼ぶ。深い軒の出は外壁を雨や日射しから守るとともに、建物に陰影をもたらす。同長屋門は、この造りをすべての軒裏に用いた「四方船枻」であり、建物に相応の威厳を与える。

   武家屋敷の長屋門と比べれば、豪壮さはないが、素朴で力強い味わいがある。世田谷区において現地にそのまま残る長屋門は少なく、農家のものはこれが唯一という。明治時代の旧家の威風を伝える貴重な遺構である。

   三田家長屋門と土蔵ならびに土地は、平成30(2018)年、世田谷区に寄付された。現在、同区公園管理事務所が「深沢二丁目緑地」として公開している。

   なお、本作品では建物の軒裏の2面が見える視点を選んでいるが、写真ではこのアングルでの撮影はできない。建物全体を写そうとすれば、その前に欅の大木が立ちはだかっているからだ。参照。『世田谷の民家 第2輯・東部地区調査報告』(編集・発行:世田谷区教育委員会文化財係、1983年)