No.51 羽黒山五重塔:制作2012年5月、銅板18㎝×12㎝

  

   羽黒山(ハグロサン)五重塔は、室町時代の建立(1372年ころ)になる。2011年8月、筆者は、裏磐梯(福島県)から、浄土平、平泉・中尊寺、月山などを巡る3泊4日のツアーに参加した。その最終日に、同塔のある羽黒山の出羽三山神社(山形県鶴岡市)を参拝した。出羽三山とは、月山・湯殿山・羽黒山の総称で、古来より修験道の道場である。

   ツアーバスは、羽黒山(標高414m)の頂きにある三神合祭殿に直行した。仮に徒歩の場合は、山麓にある随神門(ズイジンモン)からはじまる参道を登っていくことになる。同参道から山頂までは、ほぼ勾配の急な石段が続き、その数2446段である。

羽黒山五重塔は入口の随神門寄りにあり、山頂からは参道の4分の3ほど歩いたところにある。山頂からの往復となったので、約3700の石段を踏みしめることとなった。

   同ツアーの見学先に五重塔は入っていなかったので、限られた空き時間の中、参道を駆け足で往来した。吹き出る汗に激しい鼓動を伴い、息も絶え絶えにたどり着いた筆者には、山岳修験の荒行となった。

   五重塔は法隆寺をはじめ各地に残り、文化庁の国指定文化財等データベースによると(https://kunishitei.bunka.go.jp)、国宝・重要文化財(建造物)は計28基(うち国宝は9基)現存し、羽黒山五重塔は、東日本で唯一の国宝である。

   同塔は、月山神社、出羽神社、湯殿山神社の所有となる。もともとは仏堂として建立されたが、明治初期の神仏分離令により社殿となり、以後大国主命を祀る。

   同塔は、すべて素木(シラキ)造りで、杮(コケラ)葺きの屋根を伴い、うっそうとした杉木立の中に屹立する。その姿は、まるで建築が大地から生え出たかのようだ。その反面、平地に見られる伽藍配置を持たない同塔に、孤立感を禁じ得ない。

   本作品は、同塔初重の組物から軒下を見上げたものである。斗(マス)と肘木(ヒジキ)と尾垂木(オダルキ)による三手先(ミテサキ)の組物は、軒下に整然と並ぶ垂木とともに、構法の上で無駄のない機能美と装飾によらない造形美を併せ持つ。参照。藤森照信、前橋重二『五重塔入門』(新潮社、2012)