No.49 国会議事堂:制作2021年1月、銅板24㎝×18㎝

 

   昭和11(1936)年に建てられた国会議事堂の建築史は、第1回帝国議会が開催された明治23(1890)年に遡る。当時は、本格的な煉瓦造建築の設計を「お雇い外国人」に依頼していた時代であり、その任に当たったのがドイツ人建築家エンデ&ベックマンであった(彼らについては、本ブログNo.44と45)。

   エンデ&ベックマンは、壮麗なるネオバロック様式の議事堂を提案した。しかし、工期ならびに財政上の問題で同案は破棄され、代替として木造による議事堂が建設された。それを第1次仮議事堂と呼ぶ。その後、仮議事堂は2度焼失し、日清戦争勃発(1894年)のため広島に臨時に建設された議事堂を含めて計4棟が建った(すべて木造)。仮議事堂時代は46年間続いた。現在の議事堂は5棟目となり、鉄骨鉄筋コンクリート造の躯体全面に花崗岩の石張りが施され、車寄と中央塔に過去様式を彷彿とさせる柱列(オーダー)が付く。

   国会は二院制のため、建物の正面向って右に参議院、左に衆議院の議場を置く。中央に吹抜けの大きな玄関ホールを持ち、そこから続く中央階段の軸線上の奥に天皇陛下の御休所がある。議場内では、扇型に配置された議席に対面して閣僚席(ひな壇)を設ける。

   仮議事堂は建て替えられたが、議場については元の基礎を再利用したことが、「ひな壇」を有する議場構造を存続させた一因となり、天皇制を意識した軸線(中央玄関―階段―御休所)も、そのまま現議事堂に引き継がれた。

   国会議事堂の様式は、竣工当時「近世式」と呼ばれた。近世式とは、過去様式とモダニズムの中間に位置する様式のことで、吉田鋼市によると、よりモダニズムに近いアール・デコ様式であるという。

   国会議事堂の着工は1920(大正9)年なので、昭和というよりも大正建築と捉えたい。大正時代の建築界は、過去様式からの脱却を目指した新様式への模索を始めていた時期であり、国会議事堂には、「荘重にして穏健」(設計担当者の大蔵省営繕官僚、矢橋賢吉の言葉)なる意匠が求められた。その結果、国家建築として古典主義に由来するオーダーと石張りの重厚な仕上げを施しながら、ネオバロック様式に依拠しない、抑制の効いた建築となった。

参照:堀内正昭『国会議事堂の誕生』(昭和女子大学近代文化研究所刊行、2021)、吉田鋼市『アール・デコの建築 合理性と官能性の造形』(中央公論新社、2005)