No.44 法務省旧本館:制作2002年7月、銅板12㎝×18㎝

 

   法務省旧本館は、筆者の制作歴において、No.42(ドイツの古民家)に続く2番目の、同じく20年前の作品となる。

   今から136年前の明治19(1886)年のこと、外務大臣の井上馨は、諸外国と結んでいた不平等条約改正のため欧化政策をとった。井上は、我が国を近代国家として内外にアピールするために、諸官庁建築を一気に建てる官庁集中計画を立案した。その実現のために、ドイツから建築家エンデ&ベックマン(彼らはベルリンにて共同で建築事務所を経営していたため、&付きで呼ばれる)を招聘し、国会議事堂のほか、裁判所と法務省(当時は司法省)の各庁舎の設計を依頼したのだった。このうち現存するのが、法務省旧本館である。

   この建物は、明治28(1995)年に竣工した。関東大震災に耐えたが、第二次世界大戦末期の米軍による東京大空襲により、煉瓦壁を残して焼失した。戦後すぐに復旧工事がなされたが、外観では軒を約2メートル下げ、屋根の形状ならびに葺き材を変えての再建であった。

   戦後の再建から約40年が経った平成3(1991)年1月から4年間を費やして、創建時の姿にもどす復原改修工事がなされ、平成6(1994)年12月、国の重要文化財に指定された。筆者は、エンデ&ベックマンの研究をしていたので、同工事の設計監修を担当した。そのため、最も思い出深い建物となり、彼らの遺作をいち早く作品にしたかった。

   刑事もののテレビ番組では、霞が関に立つ警視庁がよく登場する。この警視庁とは道路を挟んで向かい側にある赤煉瓦の建物が法務省旧本館である。本作品では道路側からではなく、背面の中庭側から見た外観を選び、かつ夜景とした。

   制作当時から夜景の表現に物足りなさを感じていたため、20年後の今、手を入れることとした(No.45に続く)。