No.40 マカオの聖パウロ教会跡:制作2002年10月、銅板18㎝×24㎝

 

   今から35年前の1987年10月上旬、筆者は、大学時代の恩師であった相田武文先生(建築家・元芝浦工業大学教授)に誘われ、一週間ほどポルトガル領マカオに滞在した。相田先生は当時、マカオの中国返還後に、ポルトガル植民地時代(1557年租借、1887年割譲)の遺産が失われるのを危惧し、当地に残る教会建築の調査を思い立ったという。

   1999年の中国への返還後の2005年、「マカオ歴史地区」としてユネスコの世界文化遺産に登録されたので、それは杞憂に終わり、当地の建築遺産は守られた。

   マカオへは成田から香港へ飛び、香港で1泊してからターボジェット(水中翼船)にて所要1時間で着いた。現地では、ポルトガル人建築家の協力を得ながら、相田研究室の学生10名と共に、聖オーガスティン教会(1586年、1874年改修)、聖ドミニコ教会(1587年、1826年頃再建)、聖ローレンス教会(1600年、1846年修復)など数棟を対象に実測を伴う調査を実施した。中でも、ファサード(建物正面側のこと)のみを残して立つ聖パウロ教会の存在は圧倒的であった。

 同教会は1640年に竣工したが、1835年の火災により崩壊して今日に至っている。ファサードは下2層の上に、幅を順次狭くした3層目と4層目を重ね、最上部にペディメント(三角破風)を頂く。ペディメント以外の各層に付く多数のイオニア式、あるいはコリント式の円柱が、格式と躍動感を与える。同じイエズス会の本部聖堂であるイル・ジェズ聖堂(ローマ、1584年竣工)をはじめとした16世紀以降のバロック様式の影響を受けながら、ファサードには夥しい浮彫装飾が施される。建設には、日本を追放された宣教師と日本人信徒も携わったという。

 本作品はエッチングを開始した2002年の制作物で、とくに雲の稚拙な表現に満足していなかった。そこで、20年間そのままにしておいた元の銅板を加筆修正することとした(No.41に続く)。