No.34 旧山田家住宅 :制作2017年5月、銅板18㎝×24㎝

   小田急小田原線の成城学園前駅で下車し、西の方向に10分ほど歩くと、「神明の森みつ池特別保護区」と称する区域に至る。ここは国分寺崖線に連なる緑地帯で、その一角に木造2階建ての旧山田邸が昭和12(1937)年頃に建てられた。同住宅の施主は、米国で事業を成功させた楢崎定吉であったが、その後、昭和36(1961)年に画家の山田盛隆(雅号・耕雨)が買い取った。

   煉瓦の門柱に近づくと、建物の南側正面と東側側面が見え、右(東)から左(西)にかけて諸室が張り出し、それに合わせて屋根の形状も変化する。屋根は褐色の洋瓦、壁は黄土色のリシン仕上げで(モルタルを引っ掻いて粗面にしたもの)、上げ下げ窓の枠を白ペンキ塗りとし、玄関周りは青味掛ったスクラッチタイル(表面に平行の溝を櫛引したもの)で仕上げる。

   このように旧山田邸は、建物の形状のみならず、色彩においても変化に富む意匠が施されるとともに、門柱からの眺めを重視した設計がなされている。正面玄関に向かって右側のタイル張りの柱を後退させ、玄関口への視線を妨げないようにしているのも、ここからの見栄えを大切にしているからだ。

   作品左手の生垣越しに、ガラス戸を全面に取り付けたサンルームが見える。ここは、創建時は建具のない開放されたヴェランダであり、その屋上は柵を巡らせたテラスとなる。ヴェランダをサンルームにしたのは、冬の寒さ対策のためであろう。

   かつては1階のこの半戸外空間では陽光を遮りながら、反対に、2階テラスでは陽光を浴びながら、豊かな景観をより身近に享受していたのではないかと想像する。崖線沿いに残る恵まれた自然に接する住宅ならではの設計であったと言えるだろう。同邸は、平成28(2016)年に世田谷区指定有形文化財となり、公開されている。