No.22 旧小坂家住宅:制作2013年5月、銅板18㎝×24㎝

   現在の東急田園都市線の前身である玉川電気鉄道は、明治40(1907)年、渋谷・玉川(現在の二子玉川)間に開通した。それを機に、二子玉川は東京近郊の遊興地としても発展することとなる。他方、当地の北側には国分寺崖線(ガイセン)があり、湧水に恵まれ、樹林が続く緑豊かな土地が広がっていた。その崖線沿いに、明治から昭和戦前に政財界人の別邸が多く建てられた。

   小坂順造(1881~1960)は長野県生まれの実業家で、衆議院議員、貴族院議員を務めた政治家でもあった。小坂は、この崖線上の一角に(世田谷区瀬田4丁目)、昭和13(1938)年、別邸を建てた。設計施工は、合資会社清水組(現清水建設株式会社)による。

  建物各室を南面させるには、敷地は東西方向に長い方がよい。しかし、小坂邸の敷地内は崖線の急斜面を多く含むため、建築に適した平地は南北方向に細長い形状となった。そこで、同邸の門を敷地の北端に置き、門から長いアプローチをとって主屋を構えた。

   玄関の右手(西)に、主屋とは棟を別にした書斎を設け、主屋中央に居間と茶の間を、その東側に廊下を挟んで女中室と台所等を置く。さらに主屋の東寄りに便所、浴室、倉庫を並べ、玄関から最も離れたところに、寝室と令息室を配した。これら諸室は互いにそれぞれ斜めにずれながら廊下を介して連続する。この間取りを雁行型(ガンコウガタ、雁行形とも)と呼ぶ。そうすることで、主要各室を南面させ、また、玄関から奥に行くほどプライバシーを保つことができた。

   本作品は、主屋中央にある居間と広縁(左手が南)の眺めで、広縁の奥を右に折れると書斎に至る。このように、雁行型の間取りは隣接する部屋同士がずれるので、室内により多くの陽光が降り注ぐ。作品では、その光景を印象的に表現するため、ガラス戸越しに見える庭園の樹木を消去した。

   旧小坂家住宅は、平成11(1999)年に世田谷区の有形文化財に指定され、「瀬田四丁目旧小坂緑地」として一般公開されている。